たまたま通りがかった書店で手にとって読みはじめたら止まらず、その日と翌日で読み終えてしまいました。
これを読んだら経験したくなりました。
ほんの一ヶ月前に、参加したいと思ったことがないとこのブログに書いていたわたしです。
この本はお得です。
事実上、二人分の体験記が書かれています。この、それぞれの体験・視点がまたおもしろくて。
著者は観察映画を撮る人なので、瞑想修行で起こることが ”客観的な体裁をとりながら期待を込めて見てしまう” というコントロール欲に向き合う行為になっています。
もうひとりのかたは、著者よりも背骨の感覚がもともとある人で、また少し違う体験をされています。
途中と末尾で書かれている、日常や仕事中で起こるジャッジメンタルと照らし合わせた振り返りの文章がかなりおもしろく、身近な感情が書かれています。
「あれは自分が選んだ怒りだった」という視点で自身のこれまでを振り返る文章に引きこまれます。
この本を読みながら思ったのは、どんな権力や決定権を得ても、裸の王様になってもやり直せるように瞑想は開発されたんじゃないかということ。
ここに書かれているような心の内省のきっかけがあれば、筋トレでパンプアップする肉体改造や、軽くなることに取り憑かれた肉体改造への爆走あるいはその心理状態を避けることができる。
まるでブッダがスジャータの乳粥を食すに至った過程のマインドを現代版のカジュアルな日本語で読ませてもらったような、それくらい引き込まれる、少ない文字数に魅力の詰まった本でした。
▼このラジオで著者がお話しされています
最後のほうで、かなり重要な質問が投げかけられています。