うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

人魚のひいさま/幸福のうわおいぐつ ハンス・クリスティアン・アンデルセン著 楠山正雄(訳)

またアンデルセンです。
今現在のように価値観の変化の波が世界中でぶわっと沸き上がっている時に読むと、自分がこれまで人生の川を渡りながら軸足を移してきた踏み石を対岸から振り返ってひとつひとつ眺めるような、そういう発見があります。


『人魚のひいさま』は人魚姫。”ひいさま” とタイピングして変換ボタンを押したら普通に「姫様」と出てきました。ネットの辞書に「《「ひめさま」の音変化》貴人の娘を敬っていう語。 お嬢さま。」とあります。
わたしは子どもの頃に知った人魚姫の物語が “ものすごい没落物語” であることを、いまさらながら知りました。


『幸福のうわおいぐつ』も、変身モノという点では似ているのですが、こちらは人間のストリートもの。最後の展開がすごい。すごいのー。


いずれも青空文庫で読めます。
およよ。そうなの? よっしゃ、わたしも読んでみるか、というかたは、以下のわたしの感想はご自身が読んでなにを思ったかを整理したあとに読むほうが、同じ本を読んでおしゃべりする感覚で楽しめるかと思います。
(なので、ここでブラウザを閉じちゃってください)

 

 

人魚のひいさま

人魚姫ってこんな話だったの?
六人(六尾?)の人魚のひいさまたち(全員、個別の名称がない)も含めた、その種族の女たちの生きかたが描かれたお話でした。
修行というのは、人間が寺で行うもの。お前がやっていることはそれとは違うだろという現実を突きつける。自分でリスクを負って望んでやってきた場所で、ただ目的を達成するために耐え忍ぶことを修行のように言われても困るよと。

 

わたしには女ストーカーのマインドを描いたような話に見えました。
そして「こんなはずじゃなかった」ところからの、敗者復活のチャンスを手放すことが美しく描かれている。これは、なかなかのド演歌。日本人以上に日本の心を描いてる。
この人魚は寒さを堪えてセーターを編むタイプで、海外にもこういうお話って、あるんだ・・・と思いながら読みました。

魔女の力を借りて五尾のお姉さまたちとおばあさまがやってくるシスター・フッドの展開があったことだけが救い。

 

 

 

幸福のうわおいぐつ

うわおいぐつは、上履きの靴みたいな意味。
はじめは、なんだこの話は・・・と思いながら読んでいたのだけど、ちょっとずつギアが上がっていく。そんなおもしろさでした。
クライマックスに向けての流れも良くて、そこで登場する「心配の妖女」と「幸福の女神の召使い」の設定がすごくいい。やられた感じ。


幸福の女神はいつも幸福にしてくれようとしているのに、心配の妖女のほうがサッと行動力を発揮してしまう。女神よ、やっぱり思っているだけじゃ、こういうところで差が出ちゃうのよ。
いくらあなたが女神でも。


わたしは最後のこの部分を読みながら、『食べて、祈って、恋をして』のイタリア編で、”憂うつ” と “寂しさ” が主人公を詰めてくる場面を思い出しました。
設定も時代も全然違うのだけど、運命に翻弄されるというのは、あとになってみれば、自分の思考に翻弄されたということ。
それをインドの賢者たちはマーヤー(幻)といったのだとわたしは思っているのだけど、アンデルセンも同じように、世界をそう見ていたんじゃないか。
アンデルセンの物語には、教訓よりも「世界の見かた」への示唆が多く、インドの聖典と同時進行で読んでいると混同するくらい、それに近いものを感じます。