先日、このブログをきっかけにヨガを通して知り合った同世代のかたと、死の話を避けたがる親とのコミュニケーションついて、少し話をしました。
そのかたはわたしと境遇が似ているところがあって、以前からその状況を背負った者同士でしか話せないことを話していました。
彼女に限らず、わたしの身近な友人・知人には、40代のうちから現実的に時を逆算して行動に移している、ひとり暮らしの人が数名います。
もちろん毎日そのことを考えているわけではないけれど、毎年毎年がその積み重ねです。
長生きしてしまうかもしれないから、ヨガをしている
こういう感覚を共有しながら関わる人との時間が積み重なっていく。
他のワークアウトとヨガが違うところは、そこで知り合ったもの同士が漠然と健康の話をするのではなく、死ぬことと生きることの話を、悲観でも楽観でも否定でも肯定でもなく話せる糸口を持っているところじゃないでしょうか。
ヨガには背景に哲学があるといわれるのは、たぶんそこじゃないか。
実感として、そう思います。
* * *
いっけんネガティブに聞こえる表現でも、他人任せではない意識があるからこそ出てくるフレーズってのがあって、そのひとつがまさに
長生きしてしまうかもしれないから、ヨガをしている
です。
こういうのは口調とトーンと状況から、音楽のようにその気持ちを伝えてくれるもの。
文字列では共有できない感覚なので、このブログに書いても、会ったことのない人には伝わらないかもしれない。だけど、今日はためしに書いています。
長生きしたくないわけでも早く死にたいわけでもなく、寿命は天命。
そういう意味での
「長生きしてしまうかもしれないから」
精神・頭脳の健康を置き去りにしているのって言葉では確認のしようがなくない? とか、中年期にホルモンバランスで頭がアホになる件については深刻に考えず声がけをしていくしかないよねとか、そういう話ができる。
ヨガで一緒に身体と心を動かすときが、さっぱりとしていて、いいタイミングです。
「わたしの人生」とか「わたしの生き方」って、それをメイントピックにしようとした瞬間に、詐欺の手に引っかかりやすくなる。
「わたしの境遇」ってのがその手前にある。そこを見ずに何かを得ようとしても、帳尻が合わないんですよね。
わたしは死から逆算して心持ちのライフデザインをする癖をつけてくれるのがヨガのいいところだと思っています。
<余談>
今日はタイトルを考えながら、ふと「生活を生きる」って、「乗馬に乗る」みたいな文章でおかしくないか? と思って Googe で検索をしたら、AIがこんな表示をしてきました。

そうそう。
わたしが書きたかったのはこーゆーこと。
AIさんはこういうときにポジティブな出力をしなければいけないから、「成長と学習」なんて言い出すのね w