自分が更年期といわれる年齢に入ってから、時々思い出すことがあります。
なんであのときあの人は、あんなに急いでいたのかと。
わたしがまだ30代の頃のこと。
あるとき、ヨガをきっかけに知り合った年上の女性から
「あなたはお勤めもしていらっしゃって、
それで、ヨガにもこんなに取り組んでいらして」
と言われたことがありました。
そのときは働いていない人を見下しているのかな? と思ったのですが、その読みはハズれました。
「お勤めもしていらっしゃって」
との言いかたから、その人もわたしと同じような行動時間だろうと思っていたのですが、平日の午前中にカジュアルなメールが頻繁に届きます。届くメール文面の語尾はお姐さん口調。そして「電話で話せたりしないものか」と。
「メールでお願いしたいです」と返信をしたら、その丁重さが倍に膨らんだボリュームのメールが敬語で返ってきました。
極端。
いま、自分が当時のその人と同じくらいの年齢になっています。
その人の衝動的な行動の源が、内部感覚としてわかる瞬間があります。
30代の頃にどう対応したらいいのか困惑した記憶と、現在のわたしが衝突します。そこでコンフリクトが起こります。
上記に書いた、2年前のわたしの言葉を読み返しました。
「識別って、精神的ワリキリのことじゃないんですよね」と、2年前の自分が言っています。
そうなんです。
ここは式を分けて、心を連立方程式にしなくっちゃ。
「ヨガにもこんなに取り組んでいらして」というレトリックを解くことも忘れないように。
「ヨガ」が祈りではなく呪いになってしまうのは、この分解を怠ったときだから。
わたしがいま更年期の心身に自分ごととして関心を持ち、本を読んだり対策をしているのには理由があります。
そのいくつかの理由のひとつが、この出来事です。