わたしはこれまで10年以上、週末のどちらかは一日一食、どちらかは一日二食で胃を空っぽにする時間を多く設けてきました。
ヨガクラスがなくなってはじめのうちは調子がつかめず、胃腸由来の乱れがありました。これにすっかり懲りまして、また胃を空っぽにする瞬間を増やすようにしています。
ヨガの身体観では消化の火をアグニといって、解毒・浄化の力と見ます。毒(アーマ)を処理する力。フル稼働だとショートする。
わたしは食事をするとすぐに体温が上がり、皮膚の下が疼くような感じがします。OLとして勤務するときはランチの1時間後に開催される会議で眠気に襲われるので、そういう日は普通の量は食べないようにしていました。
この観察を続けて何年か過ぎた頃から、胃腸由来のイライラってけっこう多いのではないかと思うようになりました。
わたしが数年前に夏目漱石の小説にハマっていたのは、胃腸や体液の変調由来の感情描写がものすごくリアルに感じたから。胃腸に多くのトラブルを抱えていた作家であることをあとで知り、妙に納得しました。
胃腸が休んだ状態で適度な運動を加えると、活性化され「わっしょーい」と声をあげてくることがあります。ヨガニードラのガイドをしていると、横になっている練習者のみなさんのなかの胃腸たちが活発に声をあげているのが聞こえてくることがあります。
「充電完了! 充電完了です。充電完了ですってばーーー!!!
いつまで寝てるんですかー。もー。グゥグゥグゥ」
という、みなさんの胃腸の声が聞こえてきます。いろんなグゥがあるものです。
脳と筋肉はそのトーンを整えるべく休んでいるのだけど、胃腸は元気。内臓が先に元気になっている。
胃腸由来のイライラがわかるようになると、少し意識が変わります。
胃腸の不快をきっかけに、同じ「不快」のカテゴリに入る記憶を拾い集めて培養してイライラしていることがある、という事態に気づく瞬間が増えます。心の中で漠然と何かや誰かを断罪しているときに、もしかして理由は後付けなんじゃないかと、ふと気づく。
そんなふうにハッとすることが増えていきます。
不安と怒りと愛着は、自分の中でその性質を丁寧に選り分ける作業をしないと、つい誰かを悪者にしようとします。
本当は理由なんて後付けなんじゃないか
と、まずは胃腸を観察してみる。胃腸を整えてみる。快便の後の爽快感が心にもたらす影響を考えてみれば、逆説的に想像しやすいかと思います。快便直後にはネガティブなことを考えることができない。あれはどうして。
ヨガには他者を恨まないためのメソッドがいっぱいだなと日々思うのですが、そのひとつに内臓と意識の関係があります。
練習者のみなさまの胃腸の音が恋しいわ♡