うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「リラ」の女達 林芙美子 著

社会の中で女性が自尊心を保ちながら生きていくエネルギーの土台を揺るがす、リアルな諦念。どすんとくる。

「何にしても、人生つて、くたびれるところなのね」

それでくたびれたなら、逃げてもいいんじゃないか。そう思わせる物語。

 

この話の舞台は現代でいうとクラブになるのかな。銀座の料理店「リラ」の従業員たちの話。この時代の「女給」の業務範囲は、どうやらとても広い。事情をみんなが抱えてる。ワーキング・マザーもいる。
ふたつ、セリフの中でそれが何を指しているのつかめない表現があった。

「ベッピンぢやないか」
「あれで、子供があるンだつて?」
「まるで娘だねえ、亭主が、へえ‥‥赤い方でやられてるツて口ぢやないのかい」
「未亡人だつて? そりやア可愛さうだね」

客の男達が美人の女給の噂話をする場面。ちなみに "赤い方" って、なに・・・。

 

以下は、ひとりの女給が言うセリフ。

「こんだけの沢山の女給と云ふものが、どンなになつて行くンでせうねえ。――私、昨夜、たうとう、ホラあの男と大森へ行つちや つたのよ、笑ふ? だつて仕方がないンだもの――」

「大森」は、なんとなく渋谷の宇田川町のような文脈で使われている。
戦後に作られた「特殊慰安所」の第一号のお店が品川区大森海岸にあったことや、周辺が料亭や置屋で賑わった時代があったらしいことから、やっぱりラブホテル街なのかな。

 


この小説で描かれる心の描写で、とても印象に残る部分がある。

誰も彼も気弱な癖して自分に塀を囲んでゐるのであつた。その塀の中から、犬のやうな虚勢でもつて、誰彼となく吠えたてゝゐるのだ、塀をとつてしまへば、誰だつて、天真な美しい花園を持つてゐるのではないか。

この角度からの性善説は、嫌いじゃない。やけっぱちになりそうでならない、もしなったとしても、その境界にあるであろう花園について語る性善説
かつての女の武勇伝は、同じ苦労を強いられない時代のわたしから見ると鬱陶しいと感じることが多いものだけど、この小説はやけっぱちになった人の美しさが際立つように描かれていて、なんというか "モダン" です。

 

和服×森光子×でんぐり返し ⇒ 放浪記 ⇒ 林芙美子 という図式で名前をインプットしていた作家であったけれど、この小説はいい意味で先入観を覆してくれました。想像よりも演歌っぽくない、おしゃれな映像が脳内で展開されました。

「晩菊」がおもしろかったので続けて読んでみたのだけど、これもよかった。

「リラ」の女達

「リラ」の女達