うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

若さについて考えた

先日、同世代の友人が学生時代(20歳ごろ)のことを振り返っている文章を読んだ。
さまざまなことを振り返りながら、「要するに暇だったのだ」と書いてあった。
彼女とは30代後半で知り合ったので20歳の時には面識がない。なのにそこに書いてある逡巡はまるで自分のことのようで、でもわたしの価値観とはそんなに一致しない。
会って話していると考えかたが似ていそうで似ていなかったり、真逆の発想も多い。オンラインでもオフラインでも、お互いその感覚を言葉を尽くして説明する。話していると視野が広がる。友人が感情をとことん整理してひねり出した文章を読むと、自分の考えの成り立ちを振り返るきっかけになる。
彼女の文章のなかにあった、若い頃に自分自身に対してイラついていた記憶の手触りは、まるで心が筋肉痛を起こすようにリアルに感じられる。「もらい泣き」ならぬ「もらいジレンマ」が起こる。

 

 

 人の意識って、
 こんなふうに言葉を通じて時間も海も超えて伝染する。
 ああおもしろい。

 

 

さて。
わたしが20歳の頃のあの感じ、あれは「暇」ゆえのものだったのだろうか。
「エネルギーがある」と「やることがある」と「やらなくてもいい」と「やることに使命感を持っている」と「やっていることに無理やり後付けで意味をもたせている」を雑にこねくり回していたあの時代と今を比べてなにが違うのか。違いといったらエネルギーの量だけのような気がすることが、いまでもたまにある。
優先順位をつけて物事に取り組んでいるけれど、バグるときはバグる。あの脆弱性が解消されたわけじゃない。

 

そういう意味でいうと、わたしはまだまだ若い。
とはいえ実年齢は、やったことに対して後付けで意味をもたせることをこじれた形でやると目も当てられない年齢。人生経験を重ねていくなかで得た知恵をうっかり悪用することのないよう、まちがった武器の使いかたをしないように気をつけなければいけない。
ここのところ、若さと傲慢さについて考えるきっかけが続いている。反省力の高い仲間の存在がありがたい。そしてバージョンアップは続く。