うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

意識を整えるための「書き写し」。書くヨガ(リキタ・ヨガ)

わたしの周囲には自分が乱れないための予防策としてヨガをしている人が多いのですが、先日練習仲間からアーサナ以外にやっていることはないかと聞かれました。
オフザマットのヨガとして、5年ほど前から毎日続けているものに「書き写し」があります。マントラの書き写しをリキタ・ジャパというのです。(リキタ=書く、ジャパ=唱える)それ以前は毎月お寺へ写経をしに行っていたのですが、引っ越したいまは自宅でペン写経。サンスクリット語の教典の書き写しをしています。

もともと教典に使われている文字の読み書きを覚えるために始めたことで、いまも忘れないように毎朝30分やっているのですが、週末などルーティーン以外の時間は日本語も書き写すようになりました。この文章はよいな、と思うものがあったら長いものでもノートに書き写します。下の写真は先月読んだリディア・デイヴィスの小説の文章の書き写しです。

f:id:uchikoyoga:20190215133320j:plain

他人が思索し整えてくれた文章を書き写すことで、その組み立てを構成する意識の使い方に近づくことができます。この作業は文章技術の高い人の感覚をいただく感じ。人は頭の中で言葉を使って思考しているので、頭がよくなるとか頭脳明晰というのはきっとこういう運動神経で作られている。運動経験の延長でそう信じています。アーサナの練習と同じです。
クラスでわたしがお手本を見せた後「はい、今すぐ真似してやってみて!」というガイドをするとむずかしいポーズができるようになる人が多発する現象から、自分も他人の真似をすれば、その感覚を憑依させることができると思っています。文章を組み立てることも、同様に。なので書き写すのは、こういうふうに思考の言語化ができるようになりたいと思う人の文章。
ここ数年は雑な日本語を目にする機会(一般人のツイートや、速度最優先で助詞の乱れたニュース記事)を避けにくくなっているので、この作業をする時間が増えています。


これをやると、日常でメリットがあります。助詞選びの精度が落ちているときは、ものごとの関係性を把握する精度も落ちている。そういう自分の脳のコンディションに気づくことができます。表面上は慣用句のように敬語を使いこなしつつ頭の中ではまったく関係性が把握できていない、引用フレーズで構成されたコミュニケーションを行う人が増えているなかで、そうではない聡明な人を見つける感度が上がります。友人関係の構築の精度が上がることは、ものすごい財産になるのであなどれません。
信頼している人のコンディションの悪い時も察知できるようになるので、好きな人を嫌いにならずに済む、そういうメリットもあります。避けるべき対象へのセンサーも上がりセキュリティ対策にもなります。オレオレ詐欺に引っかかるのは、関係性を把握する感度が鈍っているから。
良い文章の書き写しは、総じて良いことばかりです。(アホな方向にも応用できます


わたしの過去のチョイスとしては、お経や小説以外ではタゴールの詩中村元先生の訳したスートラの書き写し(日本語のチョイスが好きなのです)を多くやっています。タゴールの詩はインド人の発想・思考でありながら美しく神聖なので浄化効果があると感じています。中村先生の文章は、説教くさいイヤミな日本語を選ばない練習になります。こんなふうに題材を選ぶ時点で「なりたい自分」の具現化やロールモデル選びがはじまっています。これはサンカルパへの肥料になります。
詩からはじめると、腱鞘炎にもなりにくいでしょう。(←中高年あるあるに備えて先回りのアドバイス