うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

またヨガ小説を書いたワン。いや、ツー。


まえに小説を発表したら身近な人に意外と好評だったので、また書きました。
背中を押してくれた職場のなおこ先輩にブログのことを報告したら、ディズニーのマーケット分析に過分なお褒めの言葉をいただき「これ仕事中に見たら吹きだすからダメじゃないですか」と言われました。先輩のお仕事の邪魔をしてしまった。



先輩のおかげで思いがけずあっさり小説を発表し、もう初めてではないので以前ほど緊張はしませんが、でもやっぱりドキドキします。このドキドキはどういう種類のエゴによるものなのかわからないのですが、グルジの下敷きをいただきつつの執筆なので、「これでスベったらグルジのテンプレートに申し訳が立たぬ」という、弟子に特有のプレッシャーであります。ええ、弟子気取りです。


題名は、「吾輩は仰向いた犬である」といいます。超短編ですが、前回よりも少し長いです。

 吾輩は仰向いた犬である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも四つん這いのような苦しい体勢のあとでワンワン泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて眉間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは頭蓋骨の中で最も休息の必要な部分であったそうだ。この眉間というのは時々我々の意識を捕かまえて煮て食えそうなところまで発酵させるという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ四つん這いから解放されてスーと胸を持ち上げらた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。ゴム製の敷物の上で少し落ちついて眉間の先を見たのがいわゆる天井というものの見始めであろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一主張のない柄をもって装飾されるべきはずの表面が板の目の形でまるで水木しげるの描く妖怪の筆遣いだ。その後天井にもだいぶ逢ったがこんなおどろおどろしいのには一度も出会した事がない。のみならず木の目の横が四角く突起した不釣合いのものがある。そうしてその四角い突起の穴の中から時々ぷうぷうと温風を吹く。どうも動きが読めず実に弱った。これが人間の好む天井に備え付けのエアコンというものである事はようやくこの頃知った。
 この木の目の横でしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始めた。エアコンそのものが動くのか中のものだけが動くのか分らないが無暗になにかが廻る音がする。胸が悪くなる。到底助からないと思っていると、ピピッと音がしてぷすぅと最後の息が出た。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。
 ふと気が付いて見るとエアコンの音はない。たくさんおった兄弟が半数ほどうつむいている。今日はじめてこの場へやってきたという隣の犬までうつむいてしまった。その上今までの所とは違って無暗に今度は犬たちの息遣いがうるさい。数を数えていられぬくらいだ。はてな何でも容子がおかしいと、のそのそ這真似をしようとすると非常にふくらはぎが痛い。吾輩の右足は腓返りを起こしたのである。
 ようやくの思いで後ろに目を向けつま先を動かすと後列の犬たちが両手の間に歩いてきてこちらを見ている。吾輩は見つめられてどうしたらよかろうと考えて見た。別にこれという分別も出ない。しばらくして泣いたら指導者がまた迎に来てくれるかと考え付いた。ワン、ワンと試みにやって見たが誰も来ない。そのうちほかの犬たちは頭を下げて己の脛に鼻を押し付けはじめた。急に孤独な気分が押し寄せて来た。泣きたくても声が出ない。仕方がない、何でもよいからあるこうと決心をしてそろりそろりと手で歩き始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やりに這って行くとようやくの事で何となくつま先が動かせそうな気配が出た。ここで動かせる左足だけはどうにかなると思って両手の間に左足だけもぐり込んだ。縁は不思議なもので、もしこのとき動かずにいたら、吾輩はついに怠惰な犬として片付けられていたかも知れんのである。一樹の蔭とはよく云ったものだ。この両手の間は次の段階へ進む通路になっているのか。さて左足は両手の間に忍び込んだもののこれから先どうして善いか分らない。そのうちに重くなる、左の腹は左の腿に寄りかかる、重さは重し、右足は相変わらず動かせないという始末でもう一刻の猶予が出来なくなった。仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へと気持ちを寄せて行く。今から考えるとその時はすでにBのなかに這入っておったのだ。ここで吾輩は指導者に見つかる機会に遭遇したのである。第一に「それはBだワン」と吠えられる。これは前の指導者より一層熱血な方で吾輩を見るや否やいきなり横へ来て一緒に動き出した。いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって運を天に任せていた。しかしふらはぎが痛いのと指導者の犬格が熱いのにはどうしても我慢が出来ん。吾輩は再び指導者の隙を見て左足を戻して仰向いた。すると間もなくまた「どうしたんだワン」と吠えられた。吾輩は吠えられては伸び上がり、伸び上がっては指導者の顔色を窺い、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶している。その時に太陽礼拝というものがつくづくいやになった。実は二回前の礼拝から腓返りを起こしたままであることを返報をしてやってから、やっと胸の痞えが下りた。吾輩が最後に動こうとしたときに、この道場の主犬が騒々しい何だといいながら出て来た。指導者は吾輩の横でこの犬がいくらじっとしていても腓返りが治まらず困りますという。主犬は鼻の下の黒い毛を撚りながら吾輩の顔をしばらく眺めておったが、やがてそんならそのままへ蛇の体位で待てといったまま奥へ這入ってしまった。主犬はあまり口を聞かぬ犬と見えた。指導者は申し訳なさそうに「足を閉じ踵を揃え、手で床を押しすぎることなくひじを曲げるのだワン。実はこの方がつらいのだワン」と吠えたのち、吾輩をその場に放置した。かくして吾輩はついにこの道場を自分の行き着けの稽古場と極める事にしたのである。

「B」というのは、先日のコレであります。
こころの「K」みたいで、ミステリアスでしょ? んなことない?



今回はおもしろさや共感よりも、実はハタヨガスタイルのブジャンガ・アーサナのほうがもっとしんどいという現実に切り込んだ、よりジャーナリスティックな仕上がりを目指してみたのですが、いかがでしょうか。

(画像は「フリー素材タウン」のわんこさんです)


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吾輩は猫である 夏目漱石