『ヨーガ・ヴァーシシュタ』の日本語訳の文章に魅了され、同じ訳者のこの本を読みました。
『ヨーガ・ヴァーシシュタ』は、これは वासना (ヴァーサナー)を日本語にしたのだろうと思う箇所の訳が絶妙で。こんなふうに母国語で読めるなんて、なんてありがたいことか。本来ならばもっと時間をかけて読むべきところを、秋頃に一度目を読み終えてしまいました。
その『ヨーガ・ヴァーシシュタ』は元旦からまた読むことにして、冬にこの本『アシュターヴァクラ・ギーター』を買いました。同じ福間巌さんによる翻訳です。
ヨガのアーサナをしている人の中には「八曲がりのポーズ」という名称を耳にしたことがある人がいるかと思うのですが(わたしのクラスでもたまにやっています)、アシュターヴァクラを訳すと「八曲がり」。聖者の名前です。(アシュタは8)。
この本は創作の対話型の詩で、アシュターヴァクラは形式上の師の名前。ハタ・ヨーガの教典にゲーランダ・サンヒターというのがありますが、あれでいうゲーランダの設定のような、そんな感じです。
このトーマス・バイロンさんの本では対話形式がそぎ落とされ、アシュターヴァクラだけの言葉のようになっていますが、元の本はゲーランダに対するチャンダのように弟子役がいて、それがジャナカ王(ラーマーヤナのシータ姫の父)という設定になっているそうです。
あまり設定は気にせず読む詩で、まあこれがどうにも「幸せ」について説く言葉の数々がすばらしい。
日本語ではあたりまえのように「幸せに “なる” 」という言いかたをする人がいますが、幸せな状態というのは “なる” ものではないということが、言葉を追っていくうちに認識の深いところに入ってきます。
英訳者による【原注】も読み応えがあり、「この表現の感じはこんな理由で訳すのが難しいが、こういう言葉を選んだ」と細かく書かれているのが興味深いです。
日本語訳に信頼を置いて読んでいるので、その世界を想像する時間が二重の贅沢に感じられました。
『ヨーガ・ヴァーシシュタ』のようなすばらしい本に一年で一冊出会えただけでも幸せなのに、なんだか今年は多く得すぎてしまったような気持ちです。
来年も大切に読みます。