うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

シッダシッダーンタパッダティ ゴーラクシャナータ(Siddhasiddhantapaddhatih / Ghoraksanatha)

シヴァ信仰のヨーガの教典です。論文というほうが近いかもしれません。日本語訳が出ていないので、自分で日本語化しながら読みました。

どれがこの本のタイトルか、今回は件名に迷いましたが「Siddhasiddhantapaddhatih」というテキスト(Natha philosophy ナータ派の哲学の論文)を残した Ghoraksanatha という人がおり、その原文・ローマナイズと英文訳・解説文(英文)の載った本「Siddhasiddhantapaddhatih  A treatise on the natha philosophy by Gorakshanatha」を読みました。編者は Dr.M.L.Gharote、Dr.G.K.Pai。
原文の語の接続を分解できるようになってきたので(そうすると辞書が引ける)、毎日ちまちま読み進めました。これを読んだらシヴァ・サンヒターの構成が宇宙論からはじまる理由が少しわかった気がします。
この本を読んだきっかけは、インドで受けたティーチャー・トレーニングの中で挙げられていた5つの代表書物にあったため。その5つのうち3つは日本語で読めるのですが(参考)、あとの2つは日本語訳が出ておらず、自分で一語一語分解しながら読むしかないのでした。そのうちのひとつが「ゴーラクシャ・シャタカン」、もう片方がここで紹介する「シッダ・シッダーンタ・パダッティ」(以後S.S.P.D)です。インドの書店で買いました。

 

この書物は時代が定かではないのですが

    • 聖者ゴーラクシャナータ作の論文
    • 時代は定かではないが『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』にその名(ゴーラクシャ)への言及があるということから、それより前の時代のものとされています。
    • ボリュームと構成は以下の通り
項の数 章の末尾のまとめに出てくる章名
1 71 ピンダの起源
39 ピンダについてのべる
14 ピンダの智慧
30 ピンダの基層
79 ピンダの平等意識・シヴァと一体化する個
116 アヴァドフゥーターヨーギーの特徴

ピンダは身体ですが宇宙身体の一因(一員)としての個人身体というニュアンスです。アヴァドフゥーターヨーギーは、汚れ(不浄)を払いのけるヨーギー・不浄を遮断するヨーギーというような意味です。

 

日本語を母国語にする人がヨーガについて記述した書物をサンスクリット語から読む場合、文頭から辞書を使って分解していくとわりと直接的に頭に入ってきます。日本語の文法の順番がそのままでもわかるものが3割くらいあります。英訳のほうが倒置になるといったらわかるかな。
ちまちま分解すると「わたし みずから 美味しい 料理 つくる (改行) それゆえ あなた よろこぶ 存在」というような文章になります。このほうが「あなたのしあわせのために、わたしは美味しい料理を作ります」という整った文章よりも直接的に入ってきませんか。日本語化するときに要素として割愛されてしまう「わたし みずから」や「あなた 存在」のような要素も入ってくる。これはうちの近所の中華料理屋のおばちゃんの言葉がダイレクトに訴求してくるあの感じ(これスブタ肉ねアツイねうちはクロズあなたきっとスキよ黒酢オイシイヨー! の勢い)と似ています。
サンスクリット語はこころのはたらき方を示す単語が豊富なので、情緒的に認識しやすい便利な英語に逃げないようにしながら読むと、日本語力の筋トレにもなります。

以下、わたしの身体を通した感想として内容を紹介します。(訳して紹介する立場でもないので)

 

練習方法を解説するような本ではなかった

先に読んだゴーラクシャ・ナータの本に座位以外のアーサナの記述がなかったので、この書物にはもう少しあるのかなと思って読みましたが、さらにありませんでした。「やりかた」の類は一切ありません。
教典というよりも思想の論文で、激化してゆくヨーガの修行や思想の闘争について冷静に捉え整理し「とはいえグルなしには到達できないのだよ」と警鐘を鳴らすような内容でした。はじまりは身体宇宙論のようなところからスタートし、人間論を説いています。

 

前半は身体&心理学と宇宙観について述べていた

前半は人間がつくられる仕組み、精神がはたらく仕組みとその宇宙観、美しい比喩にたっぷり節が割かれています。
人間がつくられる仕組みの部分では、男女の結合から何か月でこの部位ができあがり10ヶ月で外に出てくるということのほかに、結合時にこの性質が多い時は男児、こっちが多ければ女児になるというようなことが書かれています。精神の分解はかなり細かく、インドの自然の比喩と重ねた説明は優美さがありました。
マヌ法典にある以下のような節と共通する要素がありました。

3章49:男子は男の精液が多いときに生まれ、女子は女の粘液が多いときに生れる。同等のときは両性具有者あるいは男女(の双子)が(生まれる)。また弱かったり量が少ないときは(受胎に)失敗する。

(「マヌ法典」渡瀬信之 翻訳 より)

 

後半は多くの宗派とグル弟子のシステムについて述べていた

昔の「グルとは・弟子とは」ということが書かれていました。シャクティ・パーダ(英訳だと後半だけ英語化してシャクティ・パット)の記述も出てきます。最後のほうは「魔法学校の賢者の掟」のような雰囲気が出てきます。
いろんな宗派がいるという説明をしっかりしたうえで「グルとは」ということが書かれているのですが、このいろんな宗派の部分を具体名称で書いてているため、当時の様子がうかがえる内容になっています。「シヴァ・サンヒター」にも似た内容がありますが、固有名詞ではなく抽象的に書いてあります。それが、S.S.D.Pは具体的に書いています。

 (この論文が示すゴールであるアヴァドフゥーターヨーギーとシッダヨーギー以外の教派あるいは信仰・修行のしかたや状態を示す語で、わたしが拾えたものは以下)

チャールヴァカ(ローカーヤタ派)、アールハタ、タールキカ、サーンキヤ、ミーマンサ、デーヴァーター、シュッダシャイヴァ(シャイヴァ派)、パーシュパティ、カーラムカ、リンガダハーリー、ニルヴァーナパラ、カーパリカ、マハーヴラタ、シャクティバーク、シャクティ・ジニャーニ、シャークタ、ヴァイシュナヴァ、ヴァーガヴァタ、ベーダヴァーディー、パンチャラートリカ(ヴァイシュナヴァの初期の流派)、サダージーヴィー、サートヴィカ、サットヤデーヴィー、プルソッタマ、サットヴィカ、クシャパナカ、ヴィスランタ、ヴェーダーンティン、バハーッタ、ヴァイシェーシカ、ヴァイディカ派、儀式信仰者(=ミーマンサ派)、隠者、苦行者、サウラー(太陽信仰者)、ヴィーラーパラ(拡散性・幻を信仰するヴィーラ信仰者)、仏教徒ジャイナ教徒、アーチャルヤ、ヤヴァナー

<複数回登場するものもあります。上記は登場順>

 

ゴーラクシャ・ナータのほかの書物と比べてどうか

過去に以下の2つの書物を読んだことがあります。

上記二冊は粒度が違うだけであまり違いのない書物だったのですが、このS.S.P.Dはまったく別物でした。上記の2冊は「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」と構成要素が近く、「シッダ・シッダーンタ・パッダッティ」は「シヴァ・サンヒター」のほうが近いです。
上記のゴーラクシャ・ナータの書物にはない要素としては以下のものがありました。

  • 肉体の起源(子宮の中で身体が育つプロセス)、身体宇宙観
  • シャクティのはたらきかた、シヴァの至高の形への展開
  • さまざまなシャクティや性質を「顕現する力の要素」としてさらに5つにブレイクダウン
  • 顕現の原因となる要素とフェーズ
  • 9のチャクラのほかに、16のアドハーラ
  • 神の展開やさまざまな神の管轄範囲、海や山の数を身体になぞらえたマッピング

 

構成や文体や韻

書物としての凝りかたが想像以上で、序盤からかなり引き込まれました。目次の段階でなんか律儀で几帳面な人だな…という印象をかなり強く受けるのですが、本題に入ると喩えの名詞は限りなく具体的かつ豊かで、他派の立場を認識している範囲が幅広いうえにこれまた具体的。訳しながら「うわぁこの人、凝り性だなぁ」と思わずつぶやいてしまう文章が連なっていました。ウパニシャッドからの引用も、なんだか粋です。
冒頭でしっかり目次の詳述のような節が続き、全体がこういう構成になっているよという宣言があります。
多くの節が2行でまとめられています。わたしはこのあたりについて特徴を語れるほどにはまだ読めないのですが、語頭の音で韻を踏んでいくところなどは、読んでいて和歌の歌合(うたあわせ)を見ている感覚になりました。


こういう書物は文学ではないのですが、複数読むと構成や文章から人柄が見えてきて、好きになってしまう人のことは好きになってしまいます。こういう書物が広く読まれてないこともあり、神的な人物や聖者として語られているゴーラクシャナータですが、わたしの感覚では「なんかすごくきめ細やかな仕事のできる人」の印象です。空海かつ西行、とでもいうような。
中身については詳述しだすと莫大な量で本の紹介として一部だけ抜き出せるタイプの構成でもないので、なにか書けるテーマが見つかった時に引用するかもしれません。

 

このような本です。

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