うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

Rさんのタントラ調口説きメソッドをシヴァ派の教典の中に見つけた

少し前に国際ロマンス詐欺師に遭った話をまとめましたが、このRさんとの会話を振り返って元ネタ探しをするのが、ヨーガの復習勉強になっています。

▼このかたね…

 

ハタ・ヨーガの教典は現代の感覚で読むとトンデモ感がすごく、腰を据えて一字一句分解し、さまざまな思想を偏見なく見ていく必要があります。
なかでも「シヴァ・サンヒター」はシヴァ派のヨーガの特性を理解していくのにとても時間のかかる書物で、まとめた人の名前も出てきません。同じくシヴァ派でそれ以前に書かれたというゴーラクシャ・ナータの書物を二冊訳してみることで、やっと一歩近づけたような気がするかな…というくらい。その信仰を肌で感じることが、なかなかどうにもむずかしい。


そんな日々を何年か過ごした後にリシケシの道端でRさんと出会い、何度か会って話をしていたら「シッダシッダーンタパッダティ」の4章13節と同じことを言われました。
(以下はわたしの日本語訳です)

ヴァーマケシュヴァラタントラについて
シャクティのないシヴァは何もすることができない。自らのシャクティを伴ったとき、すべてのあらわれを創造することができる。

リシケシにいる間は、Rさんの「君は僕のシャクティだ」「君と僕は半分ずつなんだ」「マグネットのように引かれる」という言い方を「やらせろ」「金くれ」の伏線かと思っていたのですが、いっぽうで、ずいぶんおもしろい口説き方だな…と、心にメモしていました。
たしかにRさんは、この4章13節とまったく同じことを話していました。あなたがいるから活動するといって、できるだけ一緒にいようとする。「今日は仕事へ行かなくていいんですか」という問いも「ちょっと、しつこいと感じます」という訴えも、すべてこの理論で上書きしてくる。この理論、つおい…。


そのときは猛暑のなか「強引な人だな」と思っていたけれど、帰国してから涼しい頭で教典と照合してみたら、あったあった。これこれ。
いままでよくわからないな…と思っていた教義も、Rさんの口調を思い出しながら読み直すとスルスル入ってくる。これまでなんとなく避けてきたクンダリニー・ヨーガも、斜めでなはい姿勢で向き合えるようになってきました。
学びの扉が開くきっかけというのは、ほんとうに人それぞれ。・・・って、それぞれにもほどがあるわっ!