ヨガをはじめて20年近くになります。うそーん。いやーん。
はじめた頃は体力も精神力もやや余らせていたほどで、仕事も恋もインド旅行も家族の問題もいろいろジェットコースターで、衝動的な感情にまみれても処理が自動的に行われていました。
その多くの役割をホルモンや神経伝達物質の力が占めていたなんて、意識したこともありませんでした。
わたしはここ数年で更年期という時期に入りました。
身体の筋力と柔軟性はキープできても、それ以外の微細な内部の機能の変化に少しずつ慣れる必要があります。脳・神経・体液の変化を日々興味深く見ています。
「ホルモン」と「神経伝達物質」は、前者は血液に乗って運ばれ、後者は神経にはたらきかける。そこに微妙な違いがあることを真剣に考えたことがありませんでした。
日々の観察でそこに興味を持つようになってから、あらためて11世紀頃のハタ・ヨーガ教典を読んでいくと、「シャクティ」についての記述が気になってきます。
更年期の内部変化を観察していたら、読み取る要素が多くなりました。
血液検査もレントゲンもMRIもない時代に、古代のヨギーがこんなことを「観察」で究明しようとしていたことに驚きます。
興味深いのは、男性たちがそれをやっていたこと。
女性が閉経期に気づこうとすればなんとか気づけるかもしれない微細なエネルギーの変化を、男性がよくもここまで解析したものだと驚きます。
古い教典にもいろいろありますが、有名なハタ・ヨーガ・プラディピカー(以後HP)は、そのテキスト自体がフィジカル面に言及された内容が多いこともあり、「シャクティ」が登場する部分は血流・熱・体液の流れを含んだ、ホルモンの文脈が多く見られます。
神経伝達物質の要素を探すと、ゴーラクシャナータ(ゴーラクナート)あるいはナータ派の書物のシッダ・シッダーンタ・パダッティ(以後SSPD)というテキストに気になる言及がありました。
(▼この本です)
(同じナータ派の書物でも、「ゴーラクシャ・シャタカン」「ゴーラクシャ・サンヒター」ではそんなにHPと変わらず、HPに引き継がれた記述の元という感じです)
身体内宇宙の運用基盤
で、わたしはSSPDにあるこの節がとっても気になるんですよね・・・。
(日本語訳はわたしによるものです)
<4章12節>
クラ(kula)とアクラ(akula)が等しく、自ら輝き続けることができるものはアパラムパラ(aparamparam 特別でない至高)。
このアパラムパラは全体を包む(基層となる)クモの巣のように潜在する力。この至高のシャクティはアジナーヴァティ(ajnaavati)として知られる。
人間の身体の基層について掘り下げられていて、特別な力を発揮するものではない、ベースとして必要な運用力として、こんなふうにシャクティという言葉が登場しています。
これは、交感神経と副交感神経を指しているのではないかな、と思えてくる。
クラ(kula)の説明はないのですが、この前の節でアクラ(akula)が以下のように説明されています。
アクラ(akula)とは
血統、職種、階級の創造の手段になると同時に、何にも属さない存在として知られる。
アクラは個別で、分解できない、唯一の、何の支えもなく存在し、何の基層も持たない。名前も持たないニルッタラ(特殊のないもの)。
で、ここからはいかにもインドらしいところなのですが、
「ニルッタラ」は以下のように解説されています。
ニルッタラ(niruttara)はウマー(umaa)とマヘーシュヴァラ(mahesvara)の対話を通じてある(存在する)。
神話と重ねて、女神ウマー(シヴァの妻)と、マヘーシュヴァラ(シヴァの別名)がおしゃべりしてるって!
カワイイ!!!
精神エネルギーの内部について、観察で究明したことをなんとか説明しようと頑張っているのが、ものすごく伝わってきます。
「ホルモン」と「神経伝達物質」について、「なんかあるでこれ。あるやろこれ。あるやん!!!」という思いを感じる。
時間をかけて解析された
わたしが最初にヨガを教わった先生はインドのかたで、わたしが生まれる前から日本に住んでいたので日本語も流暢な人でした。
その先生は、生徒がヨガについて正しさを問うような気持ち、知りたい気持ちを察知して、こんな事をおっしゃる先生でした。
ヨガは、昔のインドの暇な人が一生懸命考えてくれたものです。
わたしたちは仕事をして、家のことをして、忙しいでしょ。だから、言われた通りにやればいいネ!
わたしはこの「昔のインドの暇な人」という言いかたが好きです。
いまはその暇な人たちに対して、暇を存分に活かしてくれたことに感謝の気持ちを持ちながら、どこまでも内面を知ろうとする根性(暇っぷり?)に感動しながら、深部の変化を観察しています。
昔のインドの暇な人と話している気分で変化を見ています。