うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ヤングしぐさ

平均年齢が60歳くらいの場所でお稽古事をはじめて一年が過ぎた。
先日、先生からの要求が少し高度になってきたと感じることがあった。これができるようになると次はここを意識する段階へ進むのか、と思うような細かい指示があった。内転筋でバランスしながら目線の難しい移行をするタイミングでこれをしろ、というような指示。 なるほどと思いながら半分指導者目線で自分を見てしまう。わたしが人に伝えるときも、もっと我慢して本人が自分でつかめるタイミングを待たねば…なんてことを同時に思う。

そんなふうにちょっと頭の中を忙しくしていたら、さらなる意外な展開が。
その指示の直後に、ひとりのおばさまがサササッと寄ってきて

 

 

  先生はあなたができると思っているから、ああいっているのよ

 

 

と言いに来た。
先生が別の生徒さんのところへ行った隙にわざわざ言いに来たその人の正義の表情が印象に残っている。

 

 

  わ、わいなら大丈夫

 

 

というかわたし、そんなにめんどくさいヤングに見えているのだろうか。この空間ではわたしはヤング。だけどこれまでも先生からは何度か「そうじゃないっ!」みたいな指摘を受けているし、なんとなくベスト・キッド的なコントと思って楽しみながらやっているところがある。

 

 

  その種の耳がある

 

 

わたしは自分のヨガクラスにインストラクターをしている人(あるいはしていた人)が来ればなんとなくわかるし、自分の練習がしたくて来てくれる人もいる。自分の練習の場所に選んでもらえるとすごくうれしい。いいネタもらった~とか、自分のクラスでこの手順使おっと、と言われるのもうれしい。どれも昭和のダジャレみたいなのばかりだから、ちゃんと最適な流れでおもしろく言えるよう、健闘を祈る。

 

 

  その種の耳がある

 

 

こういうのはいろいろな種目・業界で「その種の耳がある」とか「それ用にしゃべり慣れてる」みたいなのがある。将棋のように数手先に起こりうることを踏まえて言いかたを選ぶこともある。この言いかたをすると二つ先のポーズでまじめな人はそれをやろうとするかもしれない。そうするとこっちの足首の角度があぶなくなるから別の言いかたにしておく、というような。
なので、この先生との関係においても

 

 

  わ、わいなら大丈夫

 

 

と思っているのだけど、サササッと寄ってきてフォローをしてくれたおばさまにはその耳がないのかもしれない。「わたしは大丈夫です。こういうことでふてくされてやめるようなメンタルではないので大丈夫です」とスラスラ返せばそれはそれでびっくりされるだろう。
なのでたいていのお声がけへの返答同様

 

 

  ありがとうございますっ。がんばりますっ☆

 

 

とこたえる。
末尾のきゃぴっ☆がそろそろ上手にできなくなりつつあるけれど、これまでどおりにやった。それがプラクティカル・ワールドでの「ヤングしぐさ」だから。
何歳になってもこの「ヤングしぐさ」ができる自分でありたい。

 

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ちょこん。きゃぴっ☆