うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

連れていきたい場所があれば、引っ込み思案な人でもリーダーシップはとれる

今年の夏に、学生時代からの友人がヨガクラスに参加してくれました。
彼女はわたしとの練習のあと、自分が普段ヨガの練習に行く場で気に入っている別の先生を思い浮かべていたようで、その人とわたしのクラスの共通点を話しながら探っているようでした。「そうじゃない先生もいるんだ。なにが違うんだろう…」と言いながら言葉を探している様子でした。
これについて、わたしは過去にティーチャー・トレーニングのトレーナーである人(わたしの教育に携わってくれた人)から言われたことがあったので、これじゃないかと思って投げかけてみました。

 

 

 場を引っ張っていく感じじゃない?

 

 

彼女のなかで、合点したようでした。
わたしはこれまで人生のさまざまな選択を、目標を決めて突き進むというよりも消去法の繰り返しで物事を仮決めしてじんわり進めていく、そんなやりかたでやってきました。それでもいろいろやってみて、身体を使ってこれはいいぞと思ったことは、それについてだけは自分でも驚くほど積極的に他人をリードしようとする。


この道から行ってこの角度から見るこの時期の景色がたまらなくいいとか、A店のカレーを経験した後にB店のカレーを食べるとB店の攻め方のすごさがわかるとか。いずれにしても、自分で何度も試したもの。何度も試すと、かなり細かい流れにまでこだわって、やや強引かと思うほどの勢いで「いいからついてきて、やってみて! 食べてみて!」というリードをしている。

 

 

 連れていきたい場所があるか

 

 

わたしは企業でリーダーシップ研修やマネジメント研修を受けたこともあるけれど、いろいろ経験してみて思うのは、リーダーシップというのは連れて行きたい場所のイメージをもつ人が誘導時に発揮する "その瞬間の気質" じゃないかということ。
リーダーとか○○長とか名前のつく立場や役職になったからといって、仲間と一緒にある地点へたどり着きたいという思いがなければ、時代・業態・社風・TPOにあわせたそれ風のふるまいが限界。

 

経験を通じて誰かを連れていきたい場所が明確にあれば、そのためのルートをあれこれ考えることができるし、チームが変わったり想定外のことが起きても「じゃあこっちの道から抜けていこうかな、そうするとプラス30分かかるな…」というふうにアレンジができる。
ただその職業の人になりたくて登山ガイドになる人と、おすすめのルートを案内したくて登山ガイドをやる人では、リードする瞬間の光りの使いかた、道の照らしかたに差が出ると思うのです。


わたしは過去にティーチャー・トレーニングのトレーナーの人から中間テストの時に「細かく見たら直すところはいろいろあるのだけど、引っ張っていく感じがあるから大丈夫」と言われて「それが大事なのか」と、なんとなくずっと覚えていました。
そしてその何年か後に別の仕事で受けたトレーニングで、ITビジネスのセミナー講師としてはそれができていないことを指摘されました。このときのダメ出しを今でもとてもありがたく思っています。これほどの学びはなかったというくらいに。

▼ここで書いています

 


わたしのヨガクラスへは、練習を楽しむ人という共通点のほかに、過去にヨガ講師をしていた人、いまヨガ講師をしている人、ヨガのティーチャー・トレーニングや養成講座を受けて目を輝かせている真っ只中の人、トレーニングを終えたばかりの人などいろいろな経験を持つかたがおいでになります。わたしもあちこちで生徒をやっています。立場の違いで視点の違いがあるとすれば、わたしが指導側に立っているときには、連れていきたい「心の状態」をイメージしている。
それが共有できることもあれば、できないこともある。わたしの表現力が足りないのか、時代感を読めていないのか、構成を変えれば(別のルートを選べば)行けたかもしれないのか、理由はひとつではありません。

 

今日書きたかったことは、"すっきり" の瞬間をたくさん経験して内観して分解して言語化して、そういうことを繰り返していくと、ルート作成ができる登山ガイドになっていくのではないかということ。そして「ガイドブックには載っていないけど、わたしがお勧めしたい絶景」を見つけて説明できるようになると、他人と比べる必要がなくなるということ。
このブログを見てわたしのクラスに参加するような人は、マイナーで雑誌にもメディアにも載っていないわたしを見つけて行動する人なので、そのベースの力(見つけて行動する力)は確実にあるはず。なので、自分の中を掘り下げてみたら、きっとおもしろいものが出てきます。その人ならではの、特有のヨガの絶景ルートを知っているはずだから。たとえそれがまさかの肥溜め歩きのルートでも。それはそれで、いいじゃないの。おもしろい。

 


自分の心と体で "すっきり" の瞬間を何度も感じて内観する前に「これはどのような根拠でどのようによいものなのか」という質問をしたくなる人は、ヨガそのものよりも「お勉強をしている状態」によろこびを感じているのかもしれません。「お勉強」している時間って、前に進んでいる気がして安心できるから。それもまた安らぎの一種。

 


冒頭に書いた「場を引っ張っていく感じ」に通じるものの境界は、わたしはここにあるのではないかなと思っています。
会社のような組織でも、リーダー=強い先導者 ではなく、「こんな見かたでここを先におさえておくと、不安材料が潰せて次に進めるよ」ということを伝えるガイドというふうに考えかたを変換していけば、引っ込み思案の人でも、その人ならではのリーダーシップが発揮できるんじゃないかな。管理職なら「ここまで見えるようになると、自分の立ち位置がわかってラクになるよ。仕事にうまみが出るよ」とガイドする感じかな。
過去の数々の失敗を経て、わたしが考えるのはこんなことです。

 

f:id:uchikoyoga:20190805190805p:plain

わたしは登山の中でもとくにこの瞬間へ、ひとりでも多くの人を連れてゆきたいと思っておりますよ!

わたしの開催する昼間のヨガクラスでは、だいたい8合目あたりから「ヨガニードラ」のルートをとりますの。うふふ。いっしょに登りましょ☆