うちこのヨガ日記

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漱石の心的世界 ―「甘え」による作品分析 土居健郎 著


先日行った漱石山房記念館の地下にある図書室でこの本の存在を知り、立ち読みの時点で夢中になり、さっそく全部読みました。
わたしはインドで3ヶ月ほど毎日ディスカッション型の授業を受けていたことがあり、そのときにさまざまなことを感じていたのですが、帰国後に長らくそれを言語化できずにいました。そんな日々への突破口になったのが「甘えの構造」「日本人の思惟方法」「日本人とユダヤ人」の三冊と夏目漱石の小説でした。「甘えの構造」はその後さらに関連書籍を二冊読んだのですが、夏目漱石の作品分析をされていたなんて!
少し前に夏目漱石の本の感想のまとめをしましたが、ここ数年わたしはインド思想の中にある心理学的な要素を夏目漱石の文章と照らし合わせる読みかたをしています。こころのはたらきのプロセスの言語化がずば抜けているためです。土居健郎さんのこの本の終章を読むと、なるほどそうであったかと思うことがとても多く、土居健郎さんは「フロイドに勝るとも劣らないのではないか」と書かれています。

この本では「坊っちゃん」「坑夫」「三四郎」「それから」「門」「彼岸過迄」「行人」「こころ」「道草」「明暗」の神経症的な "あの人" について専門的な見方がされているのですが、これがいずれも読むのをやめられないほどズズズズドドドドと深く入っていく。夏目漱石の小説を読んで誰かと語り合ってみたいけれど、そんな人は周りにいないとなったら、この本を開いてみてほしいです。文学的な書評や解説よりも何倍もおもしろいです。
以下のような視点は、やっぱりふつうに読んでいたら気づけない。

第八章「行人」について より
ここで真に悲劇的なことは、母をめぐっての弟との三角関係が、彼の妻との関係の中に転移され反復されたということであった。

第十一章「明暗」について より
津田もお延も自分がそのようになりたいと思う同性の人物を周囲に持っていなかったということである。

「明暗」のロールモデル不在説は確かに!!! と膝を打つもの。あの二人のまとっている独特の透け感や薄っぺらさは、そもそもこういうところから始まっていたのか。うーん、そうなのか?
わたしが夏目漱石小説のなかでも最もスリリングで核心に迫っていると思う「彼岸過迄」の千代子が須永を女のやり方で分解する場面もしっかり取りあげられていました。あらゆる男女の会話のなかでここまで鋭いものをわたしはほかに読んだことがないのです。なのでわたしは千代子最強説をひとりで唱えていたのですが、なにげに「明暗」の清子もすごいな…という発見もありました。

夏目漱石作品の半分くらいは読んだことがあるという人なら、必ずや楽しめることでしょう。
そして終章にあった、自己分析によって治癒を行っていた希有な作家という点については、どうにも納得。インド思想のアドヴァイタ(Non-dualism)を学ぶなら、やっぱり夏目漱石。断然、夏目漱石。そんな思いを強くしました。



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