うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

他人の様子をのぞき見して評論しているわたし。という罪悪感のこと

先日、もうすぐ子どもが小学校になるという友人と久しぶりにたくさん話しました。
どのくらい久しぶりかは覚えていないけれど、彼女が結婚・出産をする過程をわたしは全く知らないので、逆算したら15年くらいではないかな。彼女はわたしのこのブログを読むことで、こちらの心の変化をざっくり知っている。そんな状況での再会でした。
彼女は子育てで同じことの繰り返しの毎日だった頃、知人の生活を facebook などで見てはさまざまなことを思っていて、そんな自分に嫌気がさしていた時期とヨガをやってみる時期が重なって、ヨガについての調べ物をきっかけにこのブログを見つけたのだそう。



 他人の様子をSNSで見て、心のなかであれこれ評論をする



こういうことをしてしまう人は多いし、一時的にそうなることは、今の時代かなりある話じゃないかと思います。
わたしはこのあたりの距離の取りかたがうまいといわれることがあるのですが、うまいわけではありません。いまは知らなくてもよい情報はなるべく摂取しないようにしています。もともと友人が多くないので、選挙の時期に知人を疎ましく思うような感情が発生しないよう、根っこから情報摂取の場を減らしています。
自分が何かを書くときは、そういう面でなるべく読む人にがっかりされないように気をつけています。書いてあることやわたしの存在が気に入らないのはしょうがないにしても、書き方が雑ということがなるべくないように。
そしてあたり前ですが、読んでくれる人がいるから書き続けています。


これは、初対面の人によくいわれるフレーズなのですが



 ストーカーみたいに読んでいたので、
 なんだか恥ずかしいのですが…



こんなコメントとともにわたしのヨガクラスへ来てくれる人は、とても多いです。わたしだけが知っていることですが、かなりたくさんいらっしゃいます。
そしてそのたびに「ここ(練習の場)にいる人たち、ほぼ全員ブログで見つけてくれているのだけどな…。でも恥ずかしいっていう感情は、すごく人間的だなぁ」と心のなかで思っています。「ストーカーみたいに読んでいた」と言われても気になりません。恥じられても返す言葉がありません。そもそも出しているのはわたしだから。


冒頭の、久しぶりに話した友人も



 なんだかすっごい、読んじゃってさぁ〜



と少し照れたようにわたしに言いました。そら読むだろ。あなたわたしのこと、10代の頃から知ってるじゃないの。そら読むだろうよ。
でもそういう「罪悪感」というのは、とても尊いものであるなと思います。
他人を信頼するきっかけというのは、どこに小さな罪悪感を感じるかを見る瞬間にあって、わたしは友人からそういう内面の吐露を直接聞くと「ありがとう」という気持ちになります。