先日一緒にヨガをしている人と雑談をしていたら、「同じ経験、してたんだ…」と思う話がありました。
わたしはヨガを通じて知り合う人と、ヨガに関係のない話をする場を設けることがありません。はじめから目的が紐づいていて、それ以外のことがないようにしています。
練習や勉強をするために空間を共有する。継続と参加方法もいっさい紐づけない。毎回日帰り温泉入浴のように、ヨガの湯に入りやすいように。
理由はいろいろあるのですが、そのなかのひとつとして、わたしがかつてヨガの練習をしてきた場を離れていくことになった原因に共通する以下のことがあります。
宣伝やセールスを始めてしまう人がいる
特に女子更衣室のある場では美容関連品、単価の高いものでは「補正下着」、そうでなくても「あったか下着」などがありがち。
新規顧客開拓のために教室に入会したのかな…、と思う人もいました。補正下着の場合は販売単価が数十万円なので、月1万数千円のヨガ教室会員費なら、経費が自前でもギリギリ営業投資の範囲内なのかもしれません。
ヨガ教室の更衣室という空間は、セグメントされたターゲットのいるたいへん営業効率のよい場。通常であれば別の場に呼び出して試着する流れの販売もその場ででき、時間だけでなく初場代コストもカットできます。あと、普段つけている下着や持ちものでニーズを読める(=読まれてしまう)。これは、よく考えたらちょっとこわい。
ヨガの練習に来たのに営業を受けてしまった側は、まあいろいろ引き裂かれます。
まず仲間の関係が引き裂かれます。すべての人が営業に遭えば「一律の迷惑行為」になるのですが、売る側が相手を選ぶと、ややこしいことになります。
「営業を受けた人」と「営業を受けない人」に分かれる状況が生む悲劇。
わたしは「営業を受けない人」になることが多く、営業を受けた側の人が、こんなことを思います。
うちこさんは、営業されてない。
わたしは営業された。わたしは、ナめられてる。
わたしはわたしで、
お金がないと思われているのかな。
と思っています。
「うちこさんだって、きっと別の商品なら営業されてますよ」などと苦しいフォローをしてくれる人もいて、せつない。補正下着じゃなくてもいろいろなパターンがあって、そのたびに差異に引き裂かれます。
そんなこんなもあって、わたしは自分が設定するヨガの練習の場を
「いまここにいる人たちは、練習をしに来ている人たち」
と、きっぱり言える場に近い状態であるか、気にするようにしています。
「だれかがセグメントして人を集めた環境へやってきて宣伝・営業行為をする」というのは、ひもで封をする形で販売されている雑誌の間にチラシを勝手に挟むような行為ですが、わりとしれっとやる人もいます。単価が安いものやイベントの告知だと、軽いノリで差し込まれがち。これも、ユルさが生むリスクかな…。あんまりガチガチには、したくないんですけどね。
そういうあれこれが10年以上の経験の中で何度かあって、ここ数年「ただ練習をしに行くところがある」って、しあわせなんだということをじっくり噛みしめてきました。
これまでこういうことは話題にしてこなかったけれど、「仕事以外で行く場所があるってのが、いいんですよね」といいながら練習に来てくれている人が、先日「ヨガ教室じゃないけど、わたしも営業にあったことがあります」とおっしゃっていて、お互い具体的な経験を話さなくても、場のありかたについて肌感で価値観を共有できていたようです。
同じ目的を持った人が集まる空間は、場を設定する人が「俺が法律だ」みたいなスタンスをとらないと、無害な状態を保つのはむずかしいものです。理由の種明かしをしないことが秘訣でもあるから、永遠に黙っているしかない。ときには憎まれ役もこなしながら。
…ってのが黙っていてもわかってもらえていたというのは、とてもうれしい。
「ひとりで赤鬼も青鬼もやって…、結局泣いた赤鬼」
という気分になりました。
うわーん。