うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

読書方法のこと2

これは実際にお会いする人からたまに受ける質問です。
今日はわりと意向のまとまった状態で質問を文章化してくださったMさんからのメールをベースに返信ぽく書きます。Mさんはまえに書いた「長編小説を読めなかった頃のこと」のときにお話をした人だったので、いまでもよく覚えています。

罫線の中が質問文です。あいさつなどの部分は抜いています。

うちこさんの読書量とアウトプット量にいつも圧倒されています。
過去の記事でたしかノートに書いていらっしゃる?
と思ったことがあったかもしれませんが、よく思い出せません。

たぶんこれですね。「読書方法のこと


あれだけの数を読むだけでもすごいのに、
アウトプットするのも時間を使うわけですし
それ以外の生活もあるでしょうし
ブログを書く時間を読書に充てられるから
もうブログめんどうくさいわっとならないのか?
読書を最優先に暮らしていらっしゃるのか?
でもヨガもあるし。
いったいどのようにして、読むのとアウトプットをキープされているのか?
人それぞれだとはわかっているのですが、うちこさんの読書の仕方を教えていただけませんか?

「どのように」に対して「めんどうくさいわっ」という性質的なものと、ある程度計測できそうな「時間」の質問が混在しているので、このあたりを分けて書きます。



◆読書をする時間は、すごくたくさんあります

  • ブログは毎日書いているわけではなくて、書けるときに5本〜10本書いて寝かせています。毎日「品出し」だけしている感じです。なので読書の時間と食い合いはおきないというか、基本的に別ものです。(洗濯と食事作りは別、みたいな感じです)
  • 読書時間はほとんどが移動時間です。わたしは快速電車で行けば1時間のところを、バスを2本乗り継いで時間を引き伸ばすような移動手段を選びます。地震が多くなってからそうしているのもありますが、地上を走る乗り物が好きです。
  • 「待ち時間」も、だいたい本を読んでいます。バスに乗る前から、路上で二宮金次郎みたいな感じです。駅のホームでもそうです。
  • 家にテレビがありません。
  • ゲームをしません。
  • スマホは目にきつく感じます(本でも光沢紙がきついと感じるこのごろ…)。

「読書するぞ」と思っていなくても、すきま時間を目と耳に低刺激なもので埋めようとすると本が多く、その時間が積もり積もってマウンテンというだけで、他に趣味がないといったらそれまでで、わりとさびしい理由です。


◆アウトプットがめんどうではないか
これは逆なんですよね…。アウトプット、したいんです。もうこのブログもやめなければ…と思っているくらい。
わたしは仕事で自動販売機の中のスクリプトを書くようなことをしているので、人間らしい言葉を書いて出させてもらえる機会がありがたい。感情を入れてもオッケーな文章を書ける時間は、とても解放的な時間です。ここに書いている日常っぽいことも常に30個くらいストックがあって、毎月10本以上、捨てています。ここに書く以上に書いていて、たくさん捨てています。




以下は、ちょっとヨガに関係する部分。


◆読書は文字の呼吸みたいな感じ
呼吸法も含めたアーサナの練習を毎日1時間+少々しますが、読書もヨガと同じ感じです。毎日ちょっとやる。
「他人の意識を文字として吸って、自分の中に満たして吐く」という作業が、すごく呼吸法やアーサナの練習と似ています。
アーサナの練習中に動きながら適切でない箇所で呼吸が止まってたことに気づいたりするのと同じように、読書をしていると視覚と意識が離れていたことに気づいたり、逆にまるで自分が書いているかのように入り込んだり。出入りしている容器が肉体と文体の違いだけ、という感じがします。


◆頭の感じ(ドーシャ)によって読む本を分けている
いつも5冊〜8冊くらい平行して読んでいます。
外国語の本やインド思想の本は、朝起きて日本語がひとつも耳に入らない状態で読みます。サンスクリット語の書物をローマナイズして印英辞書を使って読むときは、生まれながらにしてインド人だという感じで読みます。
小説や新書は行きの移動で読むことが多いです。東京のなかでも都心(仕事をしに行くような場所)で過ごすビジネスタイムの昼休みや待ち時間はビジネス書か自己啓発本を読みます。帰りの移動ではエッセイのようなものか、続きで読みたいものを読みます。



読む速さは、新書はテレビを見ているのと同じ感覚なので1日か2日で読んでしまうことが多いです。小説はゆっくり読みます。なかでも海外のものはなじんでくるのにすごく時間がかかります。「わたしを離さないで」は原作が外国語で海外のものなので読み終わるの一ヶ月くらいかかりました。
途中で読むことをやめる本はほとんどありません。手をつけたらほとんど最後まで読みます。自分を本の世界にあわせにいくことを、ちょっと苦行的にやっています。普段の生活では出会わない人のお話を聞ける機会のように感じています。
卑屈な人の本を読むと卑屈になったり、変態の人の本を読むと変態になったりして、わたしはかなり日常で影響を受けます。文体もうつるし、頑固ジジイみたいになっているときもあります。なので、食べ物のことが書いてある本は避けます。それを食べたくなってしまって、家にあるストックを腐らせてしまうからです。近ごろは野菜と果物が高いので、特に食べ物の本を避けています。


読書方法についての質問をされると、いつも「ほかにやることがないので」「友だちが少ないので」と答えていますが、からっぽの自分を埋めにいくような読書をよいことのように言われるのは少し不思議な気もします。たくさん本を読んでしまうことは、自分のなかでは「イタイ人」の部分でもあるので。
そんなこんなもあって、近ごろわたしは歩く時間を増やしています。乗り物に乗る時間を減らせばいいのだ、ということに今さら気がつきました(おそい)。