うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

チャルラータ(CHARULATA)インド映画


先日感想を書いた「ビッグ・シティ」と同時上映で観てきました。
女優さんのマドビ・ムカージーは「ビッグ・シティ」と同じ人なのだけど、かなりふっくらして見えます。この映画の設定のために肥えたのかな。デ・ニーロか! 顔は明らかに同じなのに、別人に見えるのがすごい。
両方ともあまりの伏線の細かさが気になってしまい、確認のためにまた別の日に観に行きました。二度見ると、すごく緻密に練りこまれた映画であることがよくわかります。
1回目は疲れている日に行ったこともあり、妙に歌のうまい人が出てくるところでウトウトしちゃいました。
この映画はそのくらい、



 歌のシーンの魅力が異常



アマルという男性がピアノを弾きながら歌う曲が、すごくいい。末尾に動画を添えました。
さらに、以下も特徴。



 セリフの暗示に「物質世界」「精神世界」の対比が織り込まれ
 詩的で哲学的(原作:タゴール



すべてのセリフと場面に意味があり、暗示になっている。「足元から地面がなくなったようだ」なんていうセリフもさらっと出てくる。
「チャルラータ」は、夫が物質社会で成功するなか妻のチャルラータが精神社会で花開く話。その花の種は男性に蒔いてもらわないと、ひとりではどうにもならない。彼女は肥沃な畑を持つ女性の象徴のように描かれています。
マヌ法典というインドの古い書物では、男性と女性の関係と子孫繁栄を語るときに、種子と畑の喩えが使われています。この映画の中にはそういうインド人の心の奥底に根づいたものに繋がる暗示があるように見えました。


チャルラータが感情を爆発させる場面も、「ん? なんで、ここで?」とはじめは思うのだけど、悲しみ → 怒りのグラデーションを緻密に描くシナリオなのだと思って観ると、奥行きがありすぎる。思考がまとまっていく場面では、眉間にぐーっとカメラが寄っていって、水面の映像が重なる。ヨギック・メガネをかけて見ると、これはまるでアジーナ・チャクラの観想みたいだわっ! となる。
いろいろ細かい見どころが満載です。