うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

松浦弥太郎の新しいお金術 松浦弥太郎


ちょっと疲れているときに読むと元気の出る著者さんの本。書店で目にして即買いしました。
わたしは「モノ」でも「サービス」でも、エネルギーの傾け方と価格設定がアンバランスであることで甘さの露呈した商品を見るとげんなりします。「安かろう悪かろうではない」と言われると、ではどうやってコストダウンさせているか(もしくはほかで収益があるから赤字ベースでもいいのか)などのからくりが知りたいし、その説明ができないものには「ねじれた呪いのようなもの」が織り込まれている気がしてしまう。
ときに分不相応な思い入れを抱いてしまうこともあるけれど、「こんなに真剣に考えて作ったものは、そんなに安く売れないわ」という気持ちを忘れない。「使う人あってのサービスだ」という考えの人とは相容れないこともあるのだけど、「使う人」が何に価値を感じるのかを一緒に話せる人とならうまくいく。相手の話によってはあっさり「真剣」だったところを「ひっこみナイフ」に変えちゃってもいいね、くらいに方向転換することもある。そういう「明らかにすること」のコミュニケーションが仕事(=エネルギーを貨幣システムに乗せること)の楽しいところだと思う。
というようなことが、別の言葉で書かれていた。

 夢とお金はつながっています。夢を見るとは、自分がわくわくする、うれしいことが何かを明らかにすることです。自分がうれしくなることがわからないのに、自分がされてうれしいことを人に与えることはできません。
(176ページ『自分にできることを一心に』より)

素直にエネルギーを傾けられる仕事ほど「プライシング」は楽しい時間のはず。ヨガの世界でお金の話をするのが苦手な人は、ヨガに寄生したいだけなのでは? なんて思ったりすることがある。




「貢献」のありかたも、まろやかながら、いい指摘。

 もし仕事がほしいなら、給料を上げてもらいたいなら、チャンスがほしいなら、評価してもらいたいなら、自分から先に差し出しましょう。考え、勉強し、努力し、人間性を磨いて、社会と深くかかわれば、自然に評価はついてきます。
「たくさんお金をくれるなら、一生懸命はたらきますよ」
「私を認めてくれるなら、頑張ります」
 こんな条件付の努力を、貢献とは言いません。うまくいくという保証をもらってから行動しようとする人を、応援してくれる人などいないでしょう。
(77ページ『「勤労ちゃん」と「務くん」』より)

この本では別の章でさらにズブッと踏み込んでいるのだけど、とにかく表現が上品。




まろやかなの。

 うまくいかないことは、人のせい、会社のせい、社会のせい。
 自分から何も働きかけていないのですから、こう感じるのも当然なのかもしれませんが、誰かのせいにしていたら何ひとつ変わりません。

 (中略)

 いくら枯れ果てて見えても、その人の土壌に感謝という種が眠っていれば、思いやりという恵みの雨が降り注いだとたん、芽を出します。しかし、感謝という種すら絶えてしまった弱者の畑は、思いやりの雨も流れていくだけ。やがて雨が哀れみに変わったとき、その土壌は凍土となって、時を止めてしまうでしょう。
(158ページ『弱者にならないように』

言い方はやさしいけど、とどめが若干容赦ない。




この本を読んでいたら、この著者さんは男版・宇野千代みたいな人だ、と思った。
経験を財産に変えるという考え方も、事例がおもしろい。以下は、メイド喫茶が全盛のころに、三軒ハシゴした話。

 いい歳をした男が、たった一人でメイド喫茶に行くなんて、恥ずかしいと思うでしょうか。僕は、一人で行くことこそ、大切だと思います。もし友人と連れ立っていたら、いかにもひやかしみたいに、斜に構えた「観察者」の態度になってしまったことでしょう。しかし一人であれば、バカにすつ余裕などありません。どうやったら「メイド喫茶」という異文化にとけ込めるか、必死になります。そしてとけ込むためには、必死になるより楽しんだほうがいいのです。
 自分のライフスタイルとかけ離れていることを避けていたら、いつまでも経験できないことはたくさんあります。誰も知らないところへ行き、知らない扉を開けること。これは遠い外国だろうと、むつかしい学者の集まりだろうと、メイド喫茶であろうと、一人でなければできない冒険です。
(131ページ『ものよりも経験に役立てる』より)

ね。


やさしいけど、きびしい。でもやさしい。
一人でなければできない冒険って、だいじ。