うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ここは退屈迎えに来て 山内マリコ 著


なおりかけた、乾きかけたかさぶたをベリベリ剥がされる痛痒さでイッキ読みしてしまいました。血が出るまで掻いちゃった感じ。
この小説に出てくる人物の言葉を借りてひとことで言うと「こういうのってこたえる。」という読了感。
わたしは東京でも匿名度が足りないと感じ、デリーやジャカルタみたいにもっと人がジャブジャブしたところに埋もれたいと思うほど。そんなわたしにこの小説はグサグサくる。
地方のラーメン屋にびっしりとあるポエムが出てくるエピソードの描写からオチまでの流れも、「さすがにバブルを知ってるメンズは違うね」と27歳の女の子が言ういやらしさも、すべてが鋭い。
わたしは「リア充」や「disる」などの言葉を常用しないけど、「まあ、面倒でも会っとけばいいんじゃない? 温められる旧交があるなんてお前リア充だよ。」というセリフはグサリとくる。この小説の中に出てくるリア充の象徴のような人の思考を「すぐ会える距離にいない人間なんて、この世に存在していないも同然なんだ」と推測描写するセリフも鮮やか。


8つの短編が収められているのだけど、2つ目の「やがて哀しき女の子」までは、先日紹介した「カフェでよくかかっているJ-POPの〜」のようなヒリヒリ感で進む。
3つ目の「地方都市のタラ・リピンスキー」で急に映画の「バッファロー66」みたいな雰囲気が出てきて、そういえばこの自己探しはアメリカ文学っぽいんだ、と思っていたら4つ目の「君がどこにも行けないのは車持ってないから」5つ目「アメリカ人とリセエンヌ」でいっきにいろいろな壁がとっぱらわれる。中盤で描かれる同性の友情がわたしにはキュンキュンきた。
以降は一気に日本のリアル社会へ。構成もすばらしい。


ドスーンとくる部分は読む人によって分かれそう。いまのわたしは個人の比率が高い空間について主体的に考えられるようになったけど、親密さを避ける術を持たなかった10年前のわたしにはこの物語は確実にキツかっただろうと思う。若い女性が一方的に男性を品定めする心理描写も、実はどうでもいい気分でやっていることの心理描写も絶品。いつも丁寧になんて暮せていない、実際いくぶん投げやりなわたしには共感ポイントが多い。
「やがて哀しき女の子」で、憧れていたファッション・モデルが地元に戻ってきて友人になる、という状況の女性の心理描写もエグくて旨みがある。応援してると言って近づいてくる人って、実際こんなもんだ。ここから親友になれるのが小説の世界。リアルじゃありえない。
おそろしいんだけど、そうなんだよね。という感情の数々が、ちょっとニクいくらい笑えるフレーズと交互にあらわれる。人間関係って、ゲスくて刹那的で滑稽なものよね。というだけのことなのだけど、すごく引きこまれる。この巧妙さはなんだろう。


▼紙の本


Kindle