うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

伊藤くん A to E 柚木麻子 著


まえに読んだ「嫉妬と自己愛」で取り上げられていた小説。ピックアップされることをひたすら待つ人のメンタル分解がすごい。
伊藤くんという人物は、モリエールの「人間ぎらい」のアルセストや夏目漱石の「」の小六に通じるし、モテる部分を除けば「コンビニ人間」の白羽という人物の思考にも近いところがあって、こわい。こわいのだけど、「あるよなぁ…」とも思うのです。


ほかの登場人物が伊藤くんを論する言葉、そして伊藤くんに幻想を抱く人の言葉、さらには伊藤くんになにか復讐をしたい感情を抱かずにはいられない人の気持ち、どれもズッシリきます。「ナイルパーチの女子会」や「嘆きの美女」に近いものがありつつ、この人物の相関関係から描かれる感情は、構成の上手さなのかな。途中からいっきに読まされます。



伊藤くんが勉強会やセミナーに参加しまくったり、有名な人の近くにいればいいことがあるのではないかという漠然とした期待から起こす行動は、昔の師弟関係を求めるそれとは確実に違っていて、かなり今っぽい。
まえに片山洋次郎さんの「生き抜くための整体」という本に、周りの人がよそよそしくなることの原因や流れが身体を見る視点から書かれていたけど、この小説はそれを完全に恋の物語に乗せている。A・B・C・D・Eという構成で進んで、Eですべてを回収するのだけど、よく最後にこれだけエゴの網目を説明できるものだなと驚きました。



 ものすごく認められたいけど、1ミリも傷つきたくない



この事態を死守するために、人はどんなふうに現実を捻じ曲げるか。
話を進めるために必要になるちょっとした指摘も人格否定と受け取ってしまう人の心理を学びたい人には、参考書ともいえそうな小説です。伊藤くんは傷つかないことをとても重視するのだけど、この感情を単純には批判できないというか、こういう感情の処理にはなじみがあるような気がします。「負けてないもん」「失敗してないもん」という感情は、「負戦じゃない。終戦なのだ」にも似ていて…。

こういう考え方をもつ人に「傷つかない道を選ぶことがそんなに悪いのか?」と開き直られたら、「わたしが進めていることに影響しない程度であれば、まぁ…」と、多くの人はやんわりやり過ごすものじゃないかと思う。通常は、無視できないくらいアテンションを求めてくることがなければ問題として顕在化することはない。
ただこの小説では、顕在化しまくる。伊藤くんの行動はストーカーそのものでもあったりして、職権乱用で個人情報も気軽に利用する。
ちょっとホラーなんだけど、まあそういうことをする人もいそうであったり。この、「いそう」ってところの怖さが味わいどころかもしれません。


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