関西で夏目漱石読書会をやりました。読書会といっても『夏目漱石「こころ」をヨーガ心理学で読む会』なので、ディスカッションはインド哲学の要素を頭の中におきながら進行します。この作品には生と死、自然と不自然、性善説と性悪説、輪廻思想のない人・ある人の対比、また「絆と支配」「愛と嫉妬」の半面関係が描かれているので、宗教の学びが苦手な日本人にとって、とてもよい教材です。
読書会では事前に宿題を出し、そこで出てきたフレーズを元に進行していきます。東京での開催時に白熱したテーマが再び登場したり、珠玉の題材が新規でいくつか飛び出しましたが、「そ、そこぉ?!」という変化球がいまごろになってジワジワきて、つい思い出し笑いをしてしまう。
私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫の印気でも容赦なく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。
(「先生と遺書」52中盤より)
Hさんというかたが、上記のフレーズを選定されまして、ここは末尾が「だと解釈して下さい。」となっている二重構造が掘り下げどころであったり、Hさんの「夫婦になっておきながら、心の内を打ち明けてもらえない先生の妻が可哀想すぎる」という女性ならではの視点もよかったのですが、突然
Hさん:あとですね。
(深い議論の最中で、前のめりになる参加者)
Hさん:わたし、お風呂はいつも、すごくキレイに掃除するんです。
うちこ:ええ。
Hさん:すごくキレイにしている所に、ダンナが白髪染めを垂らしたんですー!
・・・ (微妙な空気)
Hさん:純白なものに一雫の印気でも容赦なく振り掛ける ってのが
うちこ:そ、そこーーーー?!(参加者爆笑)
Hさん:連鎖したんですかねぇ。
(うちこ:呆然)
別の参加者Mさん:ありますねぇ、トマトソースとか(シャツの胸元を示しながら)
うちこ:そ、そこ、膨らませるとこーーーー?!(参加者爆笑アゲイン)
(うちこ:講師モードに無理やりギアを入れ直す)
うちこ:文章って、不思議ですね。読みながら、こういう短期的な記憶「smrti」、刻んだこと「vasana」が、浮き上がってデータがくっつきますね。これもヨーガ心理学で説明できる「こころ」のはたらきのひとつですけど。
にしても、そこーーー?!(笑)
でもそういうことって、あるんだよなぁ。睡眠時に見る夢の表面的なパーツは、こういうのでできてるからねぇ。あのときの、参加者の「まさか、こ、この人……、この人、やっぱりーーー」という、あのジワジワくる変化球の恐怖と笑い。
わたしはこういう、その場限りの「ゆきずりの一体感」が大好きです。
▼関連補足