うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

インドのことはインド人に聞け!(COURRiER BOOKS) 中島岳志 著/編集


2009年1月〜6月まで雑誌「クーリエ・ジャポン」で中島岳志教授が責任編集を担当した「インド特集」をまとめなおしたもの。日本語化されて掲載された「アウトルック」「タイムズ・オブ・インディア」などの記事には見覚えがあって、5年前ですでにこんなに都市化していたのかぁ……という思いで読みました。

ほとんど雑誌を買わないわたしですが「クーリエ・ジャポン」は同じインドの取り上げ方でも「おっと、そこ取り上げますか」という視点があって好きな雑誌です。たとえば、シュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカールさんのことをとりあげた『仕事人間をも惹きつける「お手軽スピリチュアル」』 という記事を紹介していたりして。
この本で読んだ内容のなかでも、子供を学校に通わせない自宅教育を選ぶ人たちの意向などは、まず聞くことができないので貴重です。


この本のあとがきに、こうあります。

 日本人がようやく「幻影のインド」ではなく「現実のインド」に強い関心を持ち始めたことを、私は心強く思っている。「悠久の大地」や「貧しくとも目の輝く子供」「カオスの世界」「IT大国」だけではない「リアルな現代インド」に、これまで以上の関心が向けられていることを心から期待している。

著者はヒンドゥー原理主義の人たちと一緒に生活をしていたこともある方なので、「インド人がインドをスピリチュアルに見せようとする巧妙さ」みたいなところをとてもドライに見ています。
教育事情の案件に興味深いものが多かったのですが、紹介するものを絞れなかったので、そうでないところからいくつか紹介します。


<36ページ 『食卓を埋めつくすヘルシーな加工食品ブーム』「アウトルック」誌(『美味しくなった健康食品』より)>
 新たな食品と健康ブームは、人々の嗜好の多様化にも一役買っている。ヒンドゥー系の宗教団体ISKCON(クリシュナ意識国際教会)では、ゴクル・ティーという飲み物が好まれている。製造するゴクル・インターナショナルを経営するS・K・ガルグはこう話す。
「インドで気分転換のための飲み物といえばコーヒーやチャーイが人気ですが、ハーブ・ティーなどの新しい種類の飲み物も、一過性の流行で終わってしまうものではないでしょう。」
 同社が売り出しているヴァータ・ティーは、茶葉を使わない飲み物の一種で、コーヒーや紅茶の代替品がティーバッグに入っている、最近はネスレ・インドも、カフェインの摂取量を減らしたい人向けに、ふつうのコーヒーよりマイルドな商品を発売した。また、チョコ好きにはサトバ・フーズ社から、食べても罪悪感にかられないカロリー控えめのチョコレート「チョコ・デ・ライト」が出ている。味は2種類で、いずれも砂糖と牛乳を使っていない。「腹回りではなく頭に届くチョコレート」というのが宣伝文句だ。

コピー・ワークがいいなぁ。「サトバ・フーズ社からチョコレート」というだけでもう少し笑えてくるのですが。




<110ページ 『インド人の心をつかむ「創価学会」と「レイキ」』「タイム・オブ・インディア」誌(改宗せずに学会員に より)>
 彼らの活動は世界中に広がっており、インド支部であるインド創価学会(BSG)には、すでに3万8000人以上の会員がいる。日蓮が日本人であるためにBSGの教義が日本からの "輸入" ではないかとの質問に対して、BSGのナビーナ・レディ理事長はこう反論する。
「日本から輸入されたものと考えるのは間違いでしょう。仏教はインドが発祥の地ですし、一度は廃れましたが、最近は息を吹き返してきています。世界中の国々に広まっていることからもわかるように、もともと仏教は普遍性のある宗教なのです」

(中略)

 多くのインド人がBSGに惹かれるのはなぜだろうか。
「BSGの教えが実際の生活で役に立つからです。具体的な方法で自分自身を向上させることができますし、自分の内面が変わることで、周りまでいい方向に向けることができるのです。また、会員が相互に助け合うシステムになっていて、会員は自らを律することができるまで、他の人から励ましやヒントを得ることができます。そうやって自立できた人が、次は別の会員を助けるのです」

このあと解説に「インド創価学会のメンバーには、ヒンドゥー教徒でありながら創価学会にも属している人が多い。」とありました。
わたしもおととし、ヒンドゥー×創価学会のインド人と知り合ったことがあり、その人は世帯の多いゲストハウスの1階のレストランのオーナーで、「日本人か!仏教徒か!」と先方が一方的に盛り上がり、いろいろな会の様子や本を貸してくれたりしました。
ちょっとした停電(といってもしょっちゅう)のときなども助けていただいたので、そのとき一緒に住んでいたイタリア人に「なんであの人はあなたに親切なんだ。どこで仲良くなった」と聞かれて説明に困りました。



<215ページ 現地ルポ 中島岳志が見た「インド社会の変化」 旧市街と新市街の隔絶 より>
 そういえば以前、インドの建築雑誌で「週末はインド風の生活を」という広告を見て驚いたことがある。そこでは、現代的にアレンジされた北インド農村風の建物が、富裕層向けの別荘として宣伝されていた。インド人たちが「古きよきインド」に癒しを求めるほど、現代インドと「かつてのインド」とのあいだには距離感が生まれているのである。
 このような流れは、前述のようなアンティークブームと繋がっているのだろう。いま、都市中間層のあいだで「インドの自画像」が揺らいでいる。さまざまな領域で、自らの生活を支えてきた自明性が揺らいでいるのである。
 これは、日本でたびたび起こる「和ブーム」と同様の現象だといえよう。

同世代のインド人ヨガ講師の方々のバランス感覚を見ていると、ヨガの輸出を通じてインドの自画像をなぞっているように見えることがあります。そして、その揺らぎに共感します。




以下は、少し長い引用になりますが、沁みました。

<221ページ 現地ルポ 中島岳志が見た「インド社会の変化」 都市から排除された者 より>
 階級を廃して平等な社会を作るための工学的権力は、最終的に最貧層を計画の外に追い出すことによって、この街を成立させているのである。インドでは、彼のような最貧層がどうしても労働力として必要とされる。ゴミ掃除やサイクルリキシャーの運転手をはじめ、都市生活の基盤は貧困層が支えているのが現実である。
 しかし、彼らの収入で暮していくことができる住宅など、チャンディーガルには存在しない。彼らにあてがわれる公的な住宅なども、いくつかのものを除いて、特に用意されているわけではない。そのため、彼らは街の外にスクウォットして、生活を成り立たせているのである。「都市工学」の矛盾が、ここに露呈している。
 また、街を歩いていると、チャンディーガルの住民が必ずしも都市計画に従順に生きているわけではないことがわかる。彼らは交通渋滞が起こらないように幅広く作られた歩道に座り込み、朝のチャーイを飲んでいる。彼らは新聞を読んだり、おしゃべりをしたりしながら、朝のひと時を過ごしている。人々はモダニズム都市チャンディーガルをうまく飼いならし、自分たちなりにカスタマイズすることで、この街を生活の場としている。
 さて、サイクルリキシャーが、ホテルの近くに到着した。
 最後に、私は彼に聞いてみた。
チャンディーガルを気に入っていますか? いい街だと思いますか?」
 すると彼が誇らしげな顔つきで「この街は、美しくてすばらしい。こんないいところは他にはないよ」と言った。料金を払い、礼を言うと、彼は数年前にヒットしたフィルムソングを口ずさみながら、笑顔で去っていった。都市計画から排除されて生きている彼らが、このモダニズム都市に強い愛着を抱いていることに、私は人間の強さを感じた。

「どうだ、素晴らしいだろう。ここは俺の稼ぎ場さ」という感覚。リシケシのヨガ・ビジネスマンと接していると、こういう感覚と「インド人のインドブーム」がブレンドされていて、おもしろいなぁと感じます。



これまでわたしはこのブログでは「わりといいインド」を切り取ってきたし、「迷惑と思うかはこっちの気の持ちよう」ということを伝える意向で書いていて、現地で創価学会メンバーのインド人に親切にしてもらった話とか、インド哲学の先生がびっくりするほど自然に口にしたイスラーム排除発言などのエピソードは書いてきませんでした。
そこまでの理解力がある人が読んでいるかわからないし、実際インドに恋してる乙女がいっぱい読んでいるみたいだし、ってんで、書きませんでした。が、今日は便乗してちょこっと書いちゃいました。
わたしはインドへ行くとリシケシや南インドでヨガの練習もしますが、2002年からお世話になっているデリーの家族と過ごすことも毎度あって、そうするとヨガの世界のインド人と交流するよりも、インド家族の仕事に関わっているときの方が圧倒的にムスリムさんたちと接する機会が多いです。(前に少し書きました)まあなんというか、ヨガの世界のインド人は、ヨガの世界のインド人なんです。
こういう比較対象がないと、リシケシの先生がさらっと「ここは聖地だからね。ムスリムもいない」とさりげなく言ってることに気づくことがないのですが、わたしが日本人にそんなことを伝えようにも、「わたしはわたしの見たいインドが見たいのよ」という具合なので、そもそも話す気も起こらない。


宗教国家の人々がこれだけの変化の中どんなメンタリティで生きていくのか。身近なインド人たちを見ながら、土台があることがうらやましいと思うことも多くて、わたしももっと周囲が(マヌ法典から脈々とづづく生活法や道徳によって)後ろ指を差してくれれば、こんな人間にならなくてすんだのではないかと思うことがあったりします。(ほんと身勝手ですが)
一方で、インドの家族を見ていると妹はネットでサクッと知り会って別の都市に嫁に行ったかと思いきや、その兄は35歳を過ぎても占星術で相手を探していたりして、いまの日本の多様化よりも感覚的には角度が急ではないかと思うこともあります。感覚的にはしんどいんだろーなー、と。
日本でいうと、漱石グルジの生きていた明治時代くらいの変化ではないかしら。そんなふうに感じます。




▼上記はほんの一部。アーユルヴェディックでシャンティなだけじゃないインドを知りたいかたは本をどうぞ