本屋で立ち読みを始めたら気分よく読める内容だったので、買って読んでみました。
前半はうなずくことが多かったですが、後半はブランドプロミスを公言する効用などが書かれており、これはわたしが「そうかな?」と思っている事だったりして、後半ほど古い日本的な感じがしました。個人的には、Capter3までが、すごくよいと感じました。告知コミュニケーションのジェネレーション・ギャップみたいなものもあるかな。
冒頭に、むやみな「安売り」はなぜいけないのか? というのが10項目挙げられていました。なかでも、以下に至極納得。
- リピーターが減る
このあとに、『年収にかかわらず「より安く買えればうれしい」とは、誰もが思うこと。』という文章から続いています。
- アイデアのない会社になる
このあとに書かれていることは値引きをせまられるケースですが、わたしがウェブの仕事で営業さんから受ける相談に「無料前提とかお金を払う気がないということは、価値に目を向ける気がないということですから、あまり時間をかけずにクローズしましょお☆」と返す理由とよく似た解説が書かれていました。「お得」を買いたい人のために「価値」の話をするのは神の意に反してる、くらいの気持ちでいます(笑)。
- 協力会社に迷惑をかける
「関わるすべての人の経済的利益を考えるのも、社会貢献活動です。」という解説でしめくくられる解説がいい。
Capter3「プライシングのセオリーを忘れる」もよかった。わたしは見積もりを作るための調査段階で他社サービスの値付けのからくりを見つけたり、思わぬ定義づけのアイデアを見つけるととてもワクワクします。あいみつで絶対負けないおもしろいセオリーやアイデアがわくとめちゃくちゃウキッとするのですが(ときにスベりもしますが)、最近はこういうことを一緒に楽しめる感覚の人になかなか出会えなくなってきました。この本にはそういうワクワクできる、元気がわくようなことが書かれています。あと、なんとなくこの本を読んでいて、プライシングのセンスは恋愛のしかたと似てるかも……などと思ったりしました。わたしは「理解されないところにいつまでも関わらなくていい。世界人口は72億人だよ。次の大陸いこー!」という考えかたなので(なんだそれ・笑)。
なんかズレてきたので、本の感想はここまで。ここからは、ズレたついでにわたしが普段ヨガの「お金」について考えていることを書きます。
わたしは生徒のときに(あちこちで生徒をやっています。財布はヨガの会員証だらけです)ヨガクラスのプライシングにセンスがある教室を信用します。安くてもスタッフが不満を抱えているのが見えすぎたり、講師や生徒同士の慣れ合いでお金が動いているところへは気持ちよく足が向きません。「低価格」をウリにするのも好みません。「低価格」と言ってしまった瞬間に「質を追い求めることのブレーキに手をかけてもいい」とも受け取れかねない言葉の構造の甘さが、個人的にあまり好きではありません。
お金そのものは神様ではありませんが、「エネルギーを可視化して交換するための物体(ボディ)」として見たら、人の身体と同じように魂のようなものが宿ると思います。「神の見えざる手」という意識は、経済的視点からのブラフマニズムに見えます。なので、「プライシング」は人の身体を見るのと同じように、おもしろい。
わたしは行為の対価を考えるのもカルマ・ヨーガの一部じゃないかと思っていて、価格づけをする行為はリアライゼーション。楽しむことがむずかしいからこそ向き合うことに意義があると考えています。そもそもヨガは、インド人のふんどしを借りてるわけなので。自分で開発する要素はほんの一部です。
ちなみに世の中で一番見ていておもしろいのは、本のプライシング。読み手が握っている価値の量が多いと思うから。「えええ! この本、こんなに安くていいの?!」というときも、ほとんどわたしひとりで熱狂している。智慧のプライシングだけは、神の見えざる手も届かない、まさに聖域。そんなふうに感じます。
話を戻してあっさりまとめると、値付けを楽しめないというのは、自信のなさを露呈しているのと同じことなんじゃないかな。と思います。
で、そういう場合は第三者に値付けしてもらうのもよいと思います。自分で値付けをする内なる道を選んでも、人に決めてもらう外なる道を選んでも、そこにリアライゼーションと摩擦と葛藤が生じます。外なる道は人間関係に亀裂をもたらすこともあると思いますが、もともとあった亀裂の種が数字をきっかけに可視化されただけと捉えれば、内なる道のリスクと大差ないでしょう。
今日は斬りこみすぎちゃったかな。まあたまにはいいか。要するにわたしは、お金の話をしない世界が聖なる世界だと思っている世界を信用していないのです。
というようなことを考えるきっかけになる本でした。