うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

こどもインド哲学は動物園だった


かれこれ2年仕込みになるでしょうか。先日、わたしがかねてより構想をあたためていた、子育てをしているひと向けの「こどもインド哲学」座学を開催しました。制限として妊婦〜7歳(受胎から8年)までのお子様を育てている方としており、それはマヌ法典にある考え(受胎8年目が第二の誕生)を踏まえてのことだったのですが、細かいことはさておき、すごかった!



 わたしの声がきこえにゃーーーい!(笑)
 (ガブリ寄ってくるママさんたち)



ある程度の動物園化は想定していたのですが、はじまりのにぎやかさにびっくり。
が、場が馴染んでくるとそれなりに叫び声もパターン化し、「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」という丸大ハンバーグ・モードのまま講義は続くのですが、その間にいろいろな「ネタ」をコドモちゃんが提供してくれるんですねぇ。それよりなにより、彼・彼女らはお互いのプロフィールや背景を問わず、いきなり一緒に(しかも豪快に)交わるという魔法が使える。グローバルな対応力というのは、大人になるほど退化していくものであるとしみじみ感じました。
あと、「余剰エネルギーって、こんだけあるのよね、やっぱり」というのも相当なものでした。コドモが特別元気なのではなく、大人も同じ量あるけど散らしたり溜めたりして発酵していると考えると、感慨深い。大人だって、叫べばいいのだ。裸になって、なにが悪い!


講座ではまじめに喋っています。骨子としては、トリグナやインドの数学的な思考、日本との国家のありかたの違い、日本語の特殊さ、輪廻思想etc…の土台インプットのあと、citta,ahamkara,manas,atman,vasana,karma,parinama&aparinama あたりの用語を使いながら、インド思想のなかにある心理学をベースにすると、どんなふうにコドモとコミュニケーションを取るのがよいと考えるか。という話と、あとは記憶の刻み方の話。ちょっと盛りすぎちゃったかなぁ。と思ったのですが、たまにしかできないので、まいっか。
最後のマントラではコドモちゃんたちが一斉に黙り、それまでの騒ぎはなんだったのか(笑)。そういえば今回は生活や教育の中にある「儀式」の話ができなかったな。



「こういう言い方だと、子どもにとっては一神教になっちゃうんですよねぃ」「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”。それ、やっちゃってます……」「わたしも……」
というやりとりはやっぱりあって、ここが今後のわたしの研究課題。日本語かつ日本式の、なにか発想の転換方法があると思うのだけど、見つけられるかな。宗教的な教育のない国ではむずかしいんだよなぁ、これ。今後はセッションワークにしてみようかな。




<おまけ>


あとで大家さん(この場所を提供してくれている方)が撮ってくれていた写真を見たら




1歳半の子が、なにげにアップワード・ドッグからダウンワード・ドッグに行くときのつま先ロールをやっていた。なかなかエアリーな動きではないの! 大人は身体で覚えるの大変なのよそれ!
大人に教えようと思ってもなかなか教え方のむずかしいコレを、もうやっている。というか、子供のころはできることが、どんどんできなくなるのがヨガのアーサナなんですよねぇ。しみじみ。この子は手の指が浮いたままできちゃっていますが、大人のみなさんは手をぱちっと床につけて、凝り固まった足の甲の動きを補ってくださいね。引き上げるときは、意識的なバンダですよ。ヨゴれた大人は意識を意識的に使うのです。そうやって、心身を浄化していくのです。


※本件は会場協力者さんのご自宅やっているので紹介制にしていますが、「うちこちゃん、わしコドモ産んだわよ」「うちコドモいるの」という友人知人の方で参加希望の方は、あなたの知っているわたしのメールアドレスへご連絡ください。新宿区でやってます。もちろん子連れOKです。ニーズがあればまたやります。