うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

思わせぶりなことが、なるべくないように

まえに「おおげさなことが、ひとつもないように」という心がけについて書いたのですが、もうひとつ同じような感じで「思わせぶりなことが、なるべくないように」というのも心がけています。
「ひとつもないように」するためには嘘をこしらえたりしなければならないことがあるので、「なるべくないように」というくらいの心がけです。



たとえばなにかの背景、具体的な実例があって思ったことを話したり書いたりするときに、思わせぶりなことがないようにするのはすごくむずかしいです。なにごともきっかけがあって考えて、そこから自分を見つめたことがアウトプットにつながっていくので、なんにせよ背景があります。
が、妙に思わせぶりな表現になっていないかは気をつけています。




 「情報筋によると」




という報道は見る必要がありません。(宗教紛争などの、バレたら殺されちゃうニュースを除く)




 「ある人から聞いたんだけどね」




そういう噂話がバッドカルマだとわかっているから「ある」と濁しているのだとしたら、そこうまく方便にするくらいは話を構成したい。そのくらいは頭を使わないと「ただ読み書きのできる動物」ということになってしまうので、やはりできるだけ迷惑の範囲を抑えつつも表現には工夫をしたい。
アクセントが「わたし以外にも同じことを思っている人が一人はいる」という状況を冒頭に持ってくる話は、「みんなそういってる」と言いたい一歩手前の心の状態だと思うので、言われたときはもちろん、無意識で言ってしまったときはなおさら注意せねばと思っています。



以前ギーターの読書会で、「"よくない行動" "よくない言葉" は引っ込めたり変更することができても、"よくない考え" を消すのは難しい」と話す人がいて、そりゃそうだよなと思いつつ、「よくない言葉」を引っ込めようとしたり変更したりしようとするプロセスの中で、自分の中からうまくユーモアが引き出せたら、きっと「よくない考え」は「ちょっとおもしろい考え」になって、「底意地のわるいわたし」は「ちょっとくだらないわたし」に変換できるんじゃないかと思います。アニメの「一休さん」にはそんなきっかけを促すものが多く、チョギャム・トゥルンパ師ラマクリ師匠の教えにも似たものを感じます。


「思わせぶりにしない」って、すごくむずかしいけれど、とてもだいじね。