17年前に読んだ本をあらためて読みました。
その頃のわたしはほとんど感想を書いていなくて、ヨガってこうなふうにいいものなんだ、自分の人生を変えてくれるものなんだと信じる意気込みを先人の文字を介してインストールしていたことが、今になるとわかります。
あらためて同じ本を読んでみると、インストールしておいてよかったと思うこともあれば、逆に「こんなこと書いてあったんか! 昭和!!!」と感じる内容もありました。
「害にならないタバコの吸い方」「害にならない酒の飲み方」なんてトピックには、ものすごく時代を感じます。
あらためて読みながら「もしかして、わたしはこの本の影響を受けたのか」と思う箇所がありました。
調気法では、頭でとる栄養にも気をつけよ、と説く。いっけん奇妙なことに思えるが、それはこういうことだ。
人間は、自分の頭の中にあることだけを材料にして、ものごとを考える。だから、真実でない知識とか、事実とちがうことが頭に入っていると、当然まちがった判断をしたり、迷いが生まれてしまう。
(中略)
ひとつだけ言えることは、読書も呼吸や食事と同じように、正しい「習慣」をつけるということだ。食事と同じように、一日数時間の読書は必要なことだ。この三つは、人間の心と体にとって不可欠の栄養なのである。
(第二章 心と体の栄養/栄養は頭からも入れる より)
このブログを書きはじめた頃、読書は習慣化されていませんでした。
わたしはADSLの時代からウェブメディアを扱う仕事についていて、そんななかでヨガをはじめました。
ネガティブな情報ほどリーチしやすくなっていくインターネットの裏側の変化を見ながら、周囲で尊敬する先輩たちが「本も読んでいないとヤバい」と話していたのを記憶しています。それと、この本の教えが重なったのかもしれません。
ほかにも、こんなこと書いてあったんだ・・・と今になって気づく記述がありました。
私のところでは、願いごとをもって来る者はすべて断っている。「ここでは病気は治らない。ノイローゼは治らない。よそへ行きなさい。」と。
(第四章 心と体の潜在能力/困難を自分で切り拓くのがヨガだ より)
わたしが初めてインストラクターになった学校の校長先生(インド人の先生でした)も、体験レッスンに来た人から「ヨガで痩せますか?」と質問をされると、「お金は返すので、痩せてから来てね」と返答されていました。
こういう返答をする・しないの境界がはじめの頃はわからなかったのですが、デスク業務をされている人たちはなんとなくわかるようでした。
この本を読むと、それがあらためてわかります。
ほかにも、この本でもこのトピックに触れてたんだ・・・、と思うような情報もありました。
血液成分を調整することで、自由に男女を生みわけることができると言われる。カルシウム分を多くとると男の子を生む率が高いそうだ。
(第二章 心と体の栄養/妊娠と安産 より)
わたしが手元に持っている本(参考)では「精液(sukra)が余剰なら男の子、血液(rakta)が余剰なら女の子」という記述がありました。
インドでは生みわけることができると考えるよ、というのをヨガ哲学の授業で聞いたことがあります。
もともと1979年に出た本なので、現代の感覚ではトンデモな健康法が書かれているように見えるけれど、ヨガの宇宙的健康観がギュッとまとめられていて、しかもそれが昭和の日本の生活者向けのものになっています。
最初にも書いたけれど、いつ読んでもやはり精神面の日本語化がすばらしいと感じます。