先日、わたしの活動について予告する文章をアップしました。
わたしがやりたい「ふろく」について書きました。
これは見ようによっては囲い込みに見えるだろうなと仕事モードのわたしがツッコミを入れながら、本心がやりたいことをはじめる意志を固めました。
自分が所属できる場所を必死に探さなくてもいいように
これは、わたしがずっと大切にしている考えです。
「うちこのヨガ」は、出会いが積み重なることもあれば、そうでない場合もあるけれど
自分が所属できる場所を必死に探さなくてもいいように
ヨガは習慣を変えていくものなので、もちろん継続は力なり。
だけど所属・帰属についてはどうでしょうか。
わたしが最初にヨガの指導資格を得たときはその学校でしか教えることができなかったので、一緒に繰り返し練習できるのは会員さんだけでした。
ブログを読んでわたしを見つけて「レッスンを受けに行きたいです」と思ってくださる方がいても、その場を運営しているわたし以外の講師やスタッフにとっては体験レッスンを食い散らかされた形になっていました。
なので「わたしのことを自分で知った人がわたしのところに来れる “うちこのヨガ”」は二重の意味で
ほんの1、2時間のヨガでも
自分が所属できる場所を必死に探さなくてもいいように
という仕様です。
二重というのは、わたしがそこにいることと、ドロップインであるということ。
ドロップインであれば歓迎されない場所へ無理矢理乗り込んでいく必要がありません。
* * *
わたしが「所属できる場所」や「帰属意識」について考えるようになった過程にはいくつかの段階がありますが、
ヨーガ・スートラのなかにある
अभिनिवेश abhiniveśa
という言葉を知ったことがきっかけです。
ヨーガのアヴィニヴェーシャ( abhiniveśa )は仏教の定義よりももっと日常の近くにあって、自己保存の本能を指します。わたしはこれについてよく考えるんです。
企業でエンゲージメントと言い換えられる忠誠心や、故郷のない感覚、そういうことにふと意識が捕まりそうになったときに、ヨガが助けになります。
自分で作った居場所のほうがリアルで、実際の体温を感じます。
8年前にも似たことを書いていました。
活動場所は移動しているけれど、心のなかを見直すたびに、ここは変わらないという思いが見つかります。
銀座から金座へ。場所を移動して活動をはじめます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。