お正月の読書はこれでした。
移動中にどんどん読み進めて、新幹線と地下鉄の車内でもその世界に吸い込まれるように読んで、名作のなかに時間を溶かしているうちに新年が始まりました。
久しぶりに会った母にこの小説を知っているか尋ねてみたら昔読んだそうで「これ、ものすごく流行ったよ。舞台にもなってた」とのこと。
嫁姑が評価を争う話を美談でコーティングする家族ぐるみの欺瞞の話で引っ張っておきながら、なんのなんの。日本の外科医療の歴史が学べる。
“人権意識がなかった時代の日本はめっちゃイノベーティブだった”という皮肉な史実に魅せられました。
そんなこんなで、わたしの感想はこんな順番になります。
- 1. スティーブ・ジョブズの何倍もパッショネイトだった華岡青洲
- 2. 女性の美醜の話で前半をグイグイ読ませ、後半は実績評価の話で読ませる
- 3. 世界に先駆けるイノベーションを起こしたファミリービジネスの舞台裏
- 4. 家の中にしか舞台のない人生で女性が「役に立つ」存在として輝こうとする姿
- 5. 置かれた場所で咲き誇ろうとすることの対価と、個人のしあわせを再定義すること
- 6. 美談にすることで失われる感情の経緯のすべて
- 7. 現代では感情的な評価が邪魔になりそう
これからこの本を読もうと思う人は、先に読んでからわたしの視点との答え合せを楽しむほうがよいかも。そのくらいの名作です。
過去に読んだことがあるかたは、現代女性が読むとこう見えるのかという視点でお楽しみください。
いくよ。
はじめちゃうよ?
ええか?
いくで。
そんなら、いかせていただきますよし。(←この本の中の語調)
1. スティーブ・ジョブズの何倍もパッショネイトだった華岡青洲
パッションが! パッションがすごいんですよし!!!
世界に先駆けて全身麻酔を使った手術を成功させた華岡青洲の、人を苦しめない手術への探求心から行き過ぎちゃう感じが、完全にヤバい奴のそれで引き込まれます。
この性質は中盤から割とハッキリ書かれるのだけど、前半は仄めかしが会話に織り込まれる程度。この会話が紀州弁で、実に味わいがあります。嫁に行くかどうするかの家族会議で「阿呆やという話を聞いたことがあるわい」と言われていて、妙なおもしろみがあります。
のちに犬猫や家族に麻酔を飲ませ始めてから徐々にエスカレートしていく様子は、まるでカルト教団が完成されていく過程を見るようでした。
2. 女性の美醜の話で前半をグイグイ読ませ、後半は実績評価の話で読ませる
これがそもそも最初からカルト教団物語ならば驚かないのです。
どういうわけか最初は女性が女性に憧れるところから始まる美しい宝塚的世界観で、目に星が入った世界。そこからの設定変更が最高です。
その土地で有名なトロフィー・ワイフがいて、少女と乳母がその人を「どんな美人なんだろ♡」とこっそりのぞき見しにいく、出だしからジャジャーンとフォルテシモで、ノリがいい。テンポもいい。
そしてある日、あの美しい人が自分をスカウトしにやって来た!!! キャー☆ なんで? なんと、推しに認められたのかわたし!!! という興奮とともに、一気に連れ込まれます。すんごいときめきから始まる。
女性が女性を評価する描写がいちいち精確です。美貌との合わせ技でその家の格を上昇させた成果を見る厳しさがたまりません。
3. 世界に先駆けるイノベーションを起こしたファミリービジネスの舞台裏
医者の話なのでビジネス色は薄いのだけど、華岡家は外科手術のファミリー研究所のような一家。「これを成功させたら主人の、一家の大躍進になるのだ!」という展開からのイカれっぷりに、「おいおい、やばいだろ君ら」とつっこみながら読み手も巻き込まれます。
前に地下鉄サリン事件で他のメンバーよりもサリンの袋に多く穴を開けることを引き受けて尊師に認められたい! と願った信者の気持ちを描いた本を読んだことがあったけれど、それを想起させる勢いでした。
4. 家の中にしか舞台のない人生で女性が「役に立つ」存在として輝こうとする姿
尊師の役に立つことで自分の存在を誇示していく閉じられたサークル内でのヒエラルキー構築が、それが家の中で起こっていた時代の息苦しさが存分に描かれていました。
みんなが目上の人に評価されるべく家の中で頑張っていて、あたたかい。うまくいくファミリー企業の成長期って、どこもこんな感じじゃないか。
嫁と姑の評価争いをバチバチに描いてそこが見せ場ではあるのだけど、その精神構造も掘り下げられています。
5. 置かれた場所で咲き誇ろうとすることの対価と、個人のしあわせを再定義すること
そんな嫁と姑を見ていた別の女性の視点が終盤で炸裂します。さらにこんな展開が来るのか! と、この物語のゴールの崇高さにたじろぎます。
彼女の態度は個人のしあわせを再定義する命題を投げていて、こういう考えを持った人の告白を最後の最後に投入して来るあたり、ただならぬ構成です。
表面上は「置かれた場所で咲きなさい」てな感じで上品に包まれているけれど、実際は「置かれた場所で咲いてもいいけど咲き誇ろうとしたらそれなりのリスクがありますからね」という世界。そうじゃない場所で生きることだってできるのに、わざわざ咲こうだなんて思いますかいな、と。正直な人が登場します。
もうこの辺まで来ると、一気に最後まで読まずにいられなくなります。
6. 美談にすることで失われる感情の経緯のすべて
この物語がすごいのは、あの手この手でせっせとセルフ・ブランディングをやってきたトロフィー・ワイフとその嫁が、世代ごとに外部からの評価に対して個人の意思を獲得していく様子まで描かれているところじゃないでしょうか。
以前は美談の主人公になることが栄誉であったかもしれないけれど、わたしは手放しで喜べないという意思は、とても近代的。この意思を誘発するのが、先の “別視点の彼女” の存在です。グッジョブ!
このえげつないシスターフッドの構図の中で緻密に描かれるそれぞれの心情が、まあすごい。この家の嫁に娘を差し出した母親の気持ちまで緻密に描かれているのも、またいいんですよね・・・。負の連鎖の大解剖。腑分けが完成されています。
7. 現代では感情的な評価が邪魔になりそう
人を生かすために誰かのなにかや、他の命が犠牲になる。
この物語にある動物実験のリアリティは、この作品から人々を遠ざける要素として今後大きくなっていくだろうな、と思います。
大人同士で「その幼稚園のノリ、こっちも合わせなきゃいけないの?」と思うほど甘~い味付けのペット愛好会話を垂れ流す社会では、こういうリトマス試験紙的な名作を共有できる人こそ、わたしにとって語り合いたい友になる。
この小説は時代の変化とともに「ここを描いているのがすごい」と評価の角度が変わる名作だと思うのだけど、そもそも江戸時代に実在した和歌山県の医者の話です。
* * *
この物語は、その内面描写にとことん惹きつけられながら最後まで読んでボーッとしちゃうのだけど、教科書にも登場した偉人・杉田玄白が「解体新書」を書いた頃にまだ15歳だった青年が53歳になった頃に、80歳になった杉田玄白から「江戸にいるのはチキンな坊ちゃん外科医ばかり。だけど困っている患者がいることも確かなので、何かのときには手紙で相談させてほしい」という手紙をもらうまで大成する超イノベーション物語でもあります。(参考)
この史実を書き残さず、だけどあくまで華岡青洲の「妻」の物語として創作して描枯れることで見えるものが多すぎました。名作でございますよし。
<おまけ情報>
東京で開催されている市川雷蔵映画祭で『華岡青洲の妻』上映があります。
映画も観ましたが、最高でしたよ!(映画を先に観るのもおすすめ☆)