うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ヨガは大麻を肯定しているか

これは英語で検索すると「肯定してるしてる!!! 」という意見を押し出したい人の記事が出てきて、日本語で検索してもその日本語訳の記事が出てくる不思議なトピックです。インターネットって、そういうものよね。(2021年5月現在)
それはそれとして、今日はインドのヨガの聖者さまには「ワシは大麻はやらん!」と言葉に残していらっしゃるかたもいます、というお話です。

 


その前に。
ヨガと大麻を紐づけて肯定したい人が引き合いに出すものの一つに『ヨーガ・スートラ』の第4章1節があります。以下はスワミ・サッチダーナンダ著 伊藤久子(翻訳)『インテグラル・ヨーガ 』からの第4章1節引用です。

シッディは、前世においてなされた修行、あるいは薬草、あるいはマントラ、あるいは苦行、あるいはサマーディによってもたらされる。

「薬草」の部分が大麻肯定の解釈に引用されています。
上記の訳を引用した本の解説では、スワミ・サッチダーナンダ師が “あなたがたの言う grass (マリファナLSD・マッシュルーム)は外的刺激物を使ったものでオーガニックではないシッディ(成就)だ” と警告されています(気になる人はぜひ本を読んでください)。
薬草と訳されている部分の原文内の言葉は「ओषधि」(オーシャデヒィ)なので、まさに薬草あるいはハーブくらいのざっくり感。拡大解釈しやすいといえば、まあしやすい。

 


後代のハタ・ヨーガのテキストになると、より具体的な記述が見られます。
日本語の本が出版されていないのでわかりやすい引用ができないのですが、『ゴーラク・バーニー』というテキストに具体的な記述があります。このゴーラクというのは人名で、座って背骨をねじるポーズの名称にもなっているマッチェンドラ・ナートの弟子ゴーラク・ナート。11〜12世紀の人物と言われています。書物の名前は「ゴーラクの話したこと」というような意味です。

 


その中の記述には大麻(भांग)の他にアヘン(अफ़ीम)やチョウセンアサガオ(धत्तूर)が登場しています。この記述から読み取れるのは、当時どうやらヨーガ行者には大麻以上にハードなものを用いる人もいたらしいということ。

日本で暮らす現代人の感覚で読むと、思いっきりジャンキーじゃないか!と思うのですが、「シロバナヨウシュチョウセンアサガオ」のWikipediaを読むと、インドでは強い幻覚を起こすものも含めて「薬草」とされていたようなので、これはもうお国柄。
その上で、当時からゴーラク・ナートは「わたしは大麻をやらない」と、その理由を何度も語っています。考えることがおかしくなるとか身体が不明になるとか奈落へ行くとか、妄想の世界で生きること・凋落について言葉を残しています。

 

 

わたしはハタ・ヨーガに関してはゴーラク先生とゲーランダ先生の言葉が好きで、書物の信憑性を問うときりがない世界であることを諦めつつも、それでも好きな先人の言葉を追っています。

今日のタイトルは主語を拡大して(←盛りました)「ヨガは」と書きましたが、厳密にはヨーガの聖典や教典で大麻は肯定されているか、と書くのが正しいかと思います。内容が内容なので、いちおう書いときますね。