うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

三転倒立の文字列で検索する人にシンパシーを感じる

今日はタイトルからして出オチなのですが、わたしこういうのがすごく好きで、何度も思い出してはニヤニヤします。数年に一回ですが、このワードでわたしのブログに迷い込む人がいます。いらっしゃい! 待ってた♡

 

なぜ、どこでそうなった。予測変換の夢の競演のような四文字。真ん中の二文字を一つの単語として変換したくなったの?
いやぁもうこの際、三回でも四回でも転倒してちょうだい! あたしが見守る!と、飛んで行きたくなります。


わたしはこういう、サウンドで生きている人が大好きなんです。
なにせわたしはヨガを始めるまで、肩甲骨を

 

 

   健康骨

 

 

と思っていましたから。
え! 健康な骨と不健康な骨があるの? それどうやって区別するの? と思っていました。
わたしが漢字を口語で話す時にわかりにくくなる解剖学的用語を使わないのは、自分がサウンドで反応してしまうためです。

 

「母指球」も、知らなければ「母子宮」と頭の中で変換する。「脾臓」だって、「秘蔵」と思いますからね。ええええ、その臓器どこに隠れてんの? いつご開帳するの? と。
わたしのような人って結構いるんじゃないかと思ってたまにヨガクラスで言い直すのですが、そうするとその説明で腹筋が崩壊してしまう人がいたりして、脳内誤変換への配慮はむずかしいなぁ、とよく思います。
お話の上手な人って、誤変換を自然に回避させるリズム感や音のセンスがありますよね。わからない単語があっても、重要でなければ流して聴いたままでも理解できるように話してる。ラジオを聴いていると、よくそう思います。

 


わたしのようにイマジネーションが過剰な人間は、ただの脳内誤変換では終わりません。
『三転倒立。ふむふむ。三回転倒したら立てるようになるのね』と勝手に解釈して、三回転倒した後に「えええ、次、できちゃうの〜。うそ〜ん」と自己暗示をかけ、本当にやり遂げたかもしれない。
倒立の場合、三回転倒した頃にコツをつかむ人が実際に多いので、あながち嘘でもないのです。信じる力よ〜。むふふ。