初めてのインド・ベンガル旅行に、この本を持って行きました。
その作家が活動した場所で作品を読むと贅沢な気持ちになれます。
松山や本郷で夏目漱石の本を読んだり、浅草で江戸川乱歩の本を読んだり、映画の舞台の近くで原作本を読むと、時間と空間を超える感覚が得られます。
このタゴールの詩集は驚くべき本で、旅行中に息が止まるような思いをしました。
こんな詩がありました。
あなたは誰だ、私の詩をこれから百年後に読んでいる読者よ
私はこの春の富の中のただ一つの花、彼方の雲の黄金のための一筋をも君に送ることができない
君の扉口を開いて外を見たまえ
花咲いている君の庭から、百年前に消えた花の香ばしい思い出を集めたまえ
君の心の喜びの中で、ひょっとすると君は、百年という歳月をこえて、その喜ばしげな声を送りだした、ある春の朝の詩人の生き生きとした喜びを感じるかも知れない
30ページに載っていた「あなたは誰だ」という詩です。
急に話しかけられてびっくりしました。
ほかにも、過去の自分や友人に教えたくなる詩がいくつもあり、1日に何度もパッと開いたページの前後を読み進めてみる、そんな読み方をしました。
139ページにあった「鳥の羽」という短編の物語のような詩には、心底度肝を抜かれました。短い文字数で、誰もが記憶しているであろう子供心が描かれていました。
家事をしている母は「こんなの見つけたの! 見て見て!」と繰り返す幼子に、ずっと同じようには対応し続けられない。それを理解する瞬間の子供の心が文字になっていました。
これ文字で・・・、言葉だけで描けてしまうことに驚きました。
わたしはシャンティニケタンという、コルカタからの小旅行先でもこの本を開いていました。

この詩集です。


ゲストハウスの風通しの良い食事スペースで、朝に夕に、ごはんの前後に読んでいました。
ここで過ごしている間に、ふわふわと音もなく近づいてきた蜂に刺されました。
「あら、なあに。いま蜂がチクっと刺したのね。花と間違われたかしら」なんて具合で、極めて穏やかに初めて蜂に刺される経験をしました。
刺された部分を洗ってつまんでいたら、宿の人が「(腕が)真っ赤になったねぇ。さては蜂の仕業だね」と、のんびりした調子でニコニコしています。
わざわざ急いでかき集める必要のない恐怖心や警戒心を放置する、穏やかな時間を過ごしました。
コルカタやシャンティニケタンにいると、花のような色の服を着たくなります。

女性たちの鮮やかな服装に感化されます。
