インドで考えたこと。
豊かであることは、多いということ。
そのなかで生き残るために他人を騙す人がいるのは数の原理。自由競争。
だからせめて自分の身近なところではネットワークを築いて楽しく過ごそう。
── という考え方がコネクションを重視する考えに至ると思うと、これはとても賢い。
細かいルールや認証プロセスが煩雑化してゆく日本社会で静かに悲鳴をあげながら、こんなことを思いました。
このことに気づくまでに22年かかりました。
現地の人と行動しながらコミュニケーションをとる旅を通じて、冒頭に書いたことをあらためて理解しました。
個人のネットワークを築いて楽しくいこう
インドの人が個人のつながりを重視する理由が、これまでは漠然としかわかっていませんでした。彼らが競争社会に対してそもそも日本のようなネガティブさを持っていないことに気づいていませんでした。
豊かになったら混沌とする
今回コルカタで数日間過ごしながら「京都っぽい」と感じることが何度かあって、これは何だろう・・・と思っていたのだけど、人が集まる場所で生まれた文化だということに気がつきました。
人の気質や性格は、風土とコミュニティ内での役割によって作られる要素が多いもの。
時代と環境が変わっても気質として残るものがある。気質だけが残っている状態って、あるんだ・・・という場面をたくさん見ました。
これに馴染んできた
という意識は根深いものだからこそ、奪われるとアイデンティティの危機につながる。
インドはスワデーシといって、外国産のものを燃やして国産のものを消費しようという極端な運動を起こした過去があるので、経済成長を続けていても、”このくらいにしとかなあかんやろ” という合理性の微妙なラインを保っているように見えます。
それを見てから東京の街を見ると、外圧ばかりを意識するSDGsが陳腐に見えてきます。
日本人同士で欧米市場へ向けたポーズでやっていることを暗黙の了解にしている度合いって、打ち解けた個人同士で話さないとわからない。
だけどこの会話がないと、わたしは自分の「内部からの力」が絶えてしまう。
今回の旅をきっかけに、自分の内部の力のために正直に考えようというポジティブな気持ちが起こり、「自分を大切にする=内部の力を起こすために意思を使うこと」と思えるようになりました。
”自分を大切にする” って、取り入れかたがよくわからないものだったから。
2年前にも似たことを頭では考えていて、それを今回、皮膚感覚で再確認しました。
余談:中心部の地下鉄出口近くの路上書店にて
下から二段目の列にパラマハンサ・ヨガナンダとイーロン・マスクが並ぶ品揃えが印象に残りました。