うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

リアルな日記を書き始めたらブログのトピックの選び方がわからなくなってきた

今月から手書きの日記帳になにかを書くようになりました。旅行中以外は日記を書く習慣がないまま30年以上暮らしてきたので、頭が混乱しております。
小学生の頃は夏休みになにか書いた記憶があります。そのほかには、こんなハイスペック文具がこの世にあるのかと驚いた鍵付きの日記帳が欲しくて、買ってもらってうれしくて日記を書いた気がしますが、日記の鍵の部分だけしか記憶していません。やはり「鍵付き」に興奮していただけのようです。
わたしは自分用の日記の書き方がいまひとつわかりません。

「ヨガ日記」というブログのタイトルにしているのはただのタイトルです。わたしがこのブログをはじめた頃はプラットフォームのサービス名が「はてなダイアリー」だったので日記とつけたのですが、日記と思っていません。ある程度考えをまとめて人に話したり説明するように書いています。なのでレポートや手紙に近い感覚です。

 

 

  日記って、どんなことを書けばいいの?

 

 

なに子どもみたいなことを言っているのだと、自分でも思います。でも、急にはじめるとわからないものです。毎日定点観測として書いているのは天気ではなく体重。いまはカレンダーのページに毎朝太いペンで書いて、自分にその数字を認識させるようにしています。太いペンで書いているのがポイントです。本文のページとはペンを分けています。
そのほかの日々のページは…

 

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こんな感じで書いています。
これを画像でブログにアップしているという状況に、さらに混乱しています。


火曜に食べたバナナでお腹を壊したということはわかっても、そのバナナをいつ買ったかが記録されていない。→「意味ないな…」と思う。→いやいや、日記ってそういうふうに意味を持たせるものじゃないから! と考え直す。
ということを繰り返しています。

 

日記を書きはじめてみてわかったのは、わたしはいちいち記録として意味があるものにしたいという気持ちを発動させる癖があって、これはどこか動物性を欠いているように思います。手書き日記を無理やりにでも続けることで、この状態から抜けていきたいと思っています。
ログとして意味がないのなら文字化する必要もない気がして図で書いてしまう、そういう横着さにも気がつきました。酷暑の日々が終わって半分くらいタオルケットが腹にかかった状態で起きる感じが幸せ♪ ということを文字で書くことを面倒と感じてしまう。
こうやって考えると、他人が読んでもおもしろい日記を文字で書いている人ってすごいな…と思います。この紙の日記帳はあと15か月半もあります。そのうち型ができてくるかしら…。

▼これ。ソニプラで衝動買いしたやつ

見ないようにしているストレスに蝕まれないように、楽観主義を注入する。この日記帳にはそういうメッセージがデザインに織り込まれています。