選択肢のある人間とない人間がその背景を明言しないまま関係を続けることの先にある絶望的な重苦しさ。この小説に出てくる主人公は若者だけど、これは大人になっても何度も追体験するもの。
この本は短編集で、どの物語の中にそういう追体験の素が色違いで差し込まれています。一話読み始めたらもうその話を読み終えるまで止められなくなる。
知らされたことで苦しくなるのはなぜだろう。知らなければ、大好きなその人はわたしにとって無害であったのに。害があったら嫌いに転ずるかというとそうではないからこそ、無害であってほしかった。この感情を可視化するのはかなりしんどい作業のはずで、こんな高負荷スクワットをやる女性作家がいま韓国で同時に何人も現れているのはすごいことだと思う。機が熟したのか沸点に達したのかわからないけれど、なんだかすごい。
この小説で描かれる心には、「コンビニ人間」の主人公・古倉さんと白羽という男性に対して心の中で眉をしかめるの周辺人物の気持ちをかなり丁寧に紐解いていったような要素がある。「あちら側」の、無害であってほしいと願う側の人の物語だって現実として細やかに存在しているのだということがわかる。さまざまな視点を短編集で見せていきながら一冊をまとめたタイトルが「わたしに無害なひと」であるというのはどうにも巧妙な建付けで、ちょっとヤられた感がある。うまい。
いっけん「あちら側」にいる人が吐露するこの内面整理は説明しすぎの文章に見えるけれど、こういう「説明しすぎ」がいまの自分にはとても響く。
私は人を愛するってどういうことはわからない人間だった。自我を打ち破って他人を抱きしめる自信も勇気もなかった。私に魂があるとしたら、その魂は「安全第一」と書かれたベストを着てヘルメットをかぶっているはずだ。傷つけられてまで誰かをお前の生に取りこむなんて破滅。ベストを着てヘルメットをかぶった魂はわたしに向かってそう言っていた。
(「砂の家」より)
自分は魂がダサい。すごくダサい。そう思うときの自分の気持ちを言い当てている。
この種のダサさは言語化するのがとてもむずかしい。言葉の組み合わせでうまく書くものだと思う。
大げさではない愛がひとつひとつ丁寧に描かれていて、数少ないテンプレートのなかで愛を探す癖がついている自分の心の貧しさに気づく。他者を無害化させようとしないことが「愛」というものです、と言われた気がした。愛には強さが必要だ。「愛がない」「愛がある」なんて他人に気軽に言うもんじゃないと思った。
- 作者:チェ・ウニョン
- 発売日: 2020/04/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)