上野リチ展へ行ってきました。東京駅と有楽町駅の間くらいの場所にある、三菱一号館美術館で開催されています。
先月か先々月に「こういうの、好きそうだから」とチラシをくださった方がいて、4月のはじめに久しぶりに会った友人二人とお花見をしたらそれぞれがこの展覧会へ行ったばかりと言っていて、今だわ!と思って行ってきました。
自分がアンテナを張れていない時やそれどころではない気がしている時に、こうしてポンと入ってくるものに乗っかっておくのはだいじ。
とにかく点数が多いと友人から聞いていたので注視エネルギーを最後まで持たせつつ、上野リチさんの仕事を通じて戦争時代の歴史とウィーン工房の存在を知ることができました。
置かれた場所で咲くって、才能を咲かせるってこういうことだなと思いました。
植わってるだけの状態じゃなくて、その都度、個人のデザインが咲いている。
わたしはなかでも満州で見た光景を描いているものが好きで、ウィーンからやってきて京都で見たもの、満州で見たもの、それぞれこうなるのかと。新しいモチーフに出会った時にユニークさとして立ち現れる個性の魅力にどっぷり浸かってきました。
土地・空気・色で雰囲気の違いが出るボタニカル柄がすべて個性的に見え、リチさんでしかありえない! と思えるのに対して、天使やクリスマスの柄になると個性を感じにくくなる。そういうギャップも興味深くて。
人間の肉体は魂を乗せた乗り物なんだなということがよくわかります。
個性というのはわざわざ出すものじゃなくて、乗り物に乗って生きてきた感覚の記録のあらわれ。そして表現はチャレンジ。
教育者としてのリチさんは過去や他者の模倣を厳しく戒め、新しい表現をすることや創造性を羽ばたかせることを「ファンタジー」という言葉で表現したそうです。
そこには太い哲学がある。
この展覧会はリチさんのデザイン画がプロダクト・デザインに落とし込まれた作品を多く見られるほか、ウィーン工房の作品も多数見ることができます。
美しいものは判断と決断の連続でできている
いろいろな情報が手に入りやすくなって、摂取するものが雑になって、真似だけならなんでもやりやすくなった現代。
そう感じることが増えていたので、戦乱の世でも自分の哲学を持ってこういう仕事をしていた人がいた。その存在を存分に感じる展示に、気持ちを立たせてもらいました。
信号を渡る前から直感的にここが美術館だと思って入っていく人が続出するこの建物は、美術館ではなくカフェです。美術館の入り口はこの背面の方向にあります。
中庭が入り口なので、そこへ向かいます。
神田のガチャガチャした場所からそんなに遠くないのに、ここは異空間。
東京って、おもしろいのよねぇ。
美術館のフロア移動で上から見えた、お姫様と王子様。
平日に丸の内のこの辺りを歩いていると、こういう光景を見ます。
そのたびにベトナムのハノイの教会前や、タイのアユタヤ市からボートで行った遺跡を思い出します。
▼5月の中旬までやってます