うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

生き方 〜人生で一番大切なこと〜  稲盛和夫 著

稲盛和夫さんの本をまた読みました。

最初に読んだ『考え方』の時にも書きましたが、ヨガの練習で知り合ったかたのおすすめがきっかけです。


稲盛和夫さんの本を何冊も持っているとおっしゃっていた中で、最初に『考え方』を貸してくださったそのチョイスが、この『生き方』という本を読んでみたらなんとなくわかりました。
『生き方』に書かれていることは、今の時代では強めのスピリチュアルに感じられそうだから。それでもわたしはこの本をバイブルだという人が多いことに納得します。中国でも売れたそうで、内容がとても東洋的です。


以下は経営者の言葉として正直だなと思いながら読みました。

 組織的に見ても、不燃性の人間は好ましいものではありません。自分だけが氷みたいに冷たいだけならともかく、ときにその冷たさが周囲の熱まで奪ってしまうことがあるからです。ですから私は、よく部下にいったものです。
「不燃性の人間は、会社にいてもらわなくてけっこうだ。キミたちは、自ら燃える自然性の人間であってほしい。少なくとも、燃えている人間が近づけば、いっしょに燃え上がってくれる可燃性の人間であってもらいたい——」
(原理原則から考える より)

この本が出版されたのは2004年。稲盛和夫さんは1932年生まれ。
上記の部分はリーダーとして当たり前の本音と思うのですが、この書き方はいま現在だと、エクスキューズがなければ炎上するかもしれません。
この「エクスキューズがなければ」と思ってしまう保身の感情って、これからの時代どうやりくりすればよいのでしょう。

 


冒頭に書いた稲盛和夫さんの本を貸してくださったかたとは、練習を通じて少しずつ知りあって、そこから精神面の話をするようになりました。
ヨガの練習の場で知り合う人同士が見せる「練習中の集中力」という履歴書は、実社会で見せたらウザがられるような要素をうまく変換してくれます。心意気の部分がほどよく可視化されて、そこから信頼関係につながる。

そういう出会いをもたらしてくれるのが、ヨガのいいところでもある。

 

 

さて。
稲盛和夫さんの本は、中村天風さんの本を読んできた人にとって、その変換バージョンのように読めるところも魅力です。
例えばこのように。

「有意注意」という言葉があります。意をもって意を注ぐこと。つまり、目的をもって真剣に意識や神経を対象に集中させることです。例えば音がして、反射的にそちらをパッと向く。これは無意識の生理的な反応ですから、いわば「無意注意」です。
 有意注意は、あらゆる状況の、どんな些細な事柄に対しても、自分の意識を「意図的に」凝集させることです。したがって前項で述べた観察するという行為などは本来、この有意注意の連続でなくてはなりません。ただ漫然と対象を眺めていたり、注意力にムラがあるようでは有意注意にはならない。
 中村天風さんは、この意をもって意を注ぐことの重要性を強調され、「有意注意の人生でなければ意味がない」とまでいわれています。私たちの集中力には限界がありますから、つねに意識を一つのものに集めることはむずかしいのですが、そうであるよう心がけていると、だんだんとこの有意注意が習慣化されて、物事の本質や核心がつかめ、的確な判断を下せる力が備わってきます。
(思いを実現させる より)

サンカルパとヴィカルパの話を、中村天風仕込みの稲盛和夫版というトリッキーな変換説法で読み、それにうなる昭和生まれの日本人のわたし(複雑!)。

 


「宇宙の流れと調和する」の章では、井筒俊彦さん、河合隼雄さんのお話の流れから、以下のように語られています。

 ですから私もまた、稲盛和夫という人間がもとから存在しているのではなく、ある存在が、たまたま私という人間のかたちをとったにすぎないということになる。京セラやKDDIという企業を創業したのも、別に私である必要はなく、たまたま天から与えられたその役割を、私が演じているだけにすぎないのです。

この与格構文的な語りは、ヨガや仏教の哲学に興味のないビジネスマンが読んだら、めちゃくちゃスピリチュアルに聞こえるだろうと思います。

 

 

さらに。
この本では、なんと稲盛和夫先生式のパンチャ・コーシャが語られています。

 私は、人間の心は多重構造をしていて、同心円状にいくつかの層をなしているものと考えています。すなわち外側から、
1)知性——後天的に身につけた知識や論理
2)感性——五感や感情などの精神作用をつかさどる心
3)本能——肉体を維持するための欲望など
4)魂——真我が現世での経験や業をまとったもの
5)真我——心の中心にあって核をなすもの。真・善・美に満ちている
 という順番で、重層構造をなしていると考えています。

 

(中略)

 

 ここで肝心なのは、心の中心部をなす「真我」と「魂」です。この二つはどう違うのか。
真我はヨガなどでもいわれていますが、文字どおり中核をなす心の芯、真の意識のことです。仏教でいう「智慧」のことで、ここに至る、つまり悟りを開くと、宇宙を貫くすべての真理がわかる。仏や神の思いの投影、宇宙の意志の現れといってもよいものです。
(宇宙の流れと調和する より)

稲盛和夫さんの「魂を磨く」という行為の感覚は、ひとつひとつの行為の動機と結果をちゃんと見極めていくというスタンスであることがよくわかります。魂はヨーガでいうヴァーサナー(仏教では薫習)をまとっている。

 


稲盛和夫さんは京セラとKDDI創始者で、65歳で得度もされていて、現在90歳。
托鉢の経験のほか、慢心への自省・反省が何度も語られています。
その語りはあまりにもまっすぐで眩しく、わたしは生きていく上でこういう綺麗事が大いに必要だと思っている、そのことにあらためて気づきました。


この本を貸してくださったかたは、現代の常識にあわせて他人に何も押し付けようとしないけれど、中身の熱い人。きっと話したいことがほかにもいっぱいあるのだろうなと思います。
熱い人と関わると、熱くなれるね。