うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「こだわり」を捨てる~仏教が教えるウツ脱却の秘法~ 小林信源 著

いつ買ったのか忘れてしまったのだけど、ずっと積読本の本箱に入れてありました。

昨年から友人や知人とコロナ渦での心の持ちようについて話すことが増えて、正気を保つっていうのはどういうことなんだろうと考える機会も増えています。

この本はカバーの後ろに、過剰な「自分へのこだわり」や「不安な心を不安に思う心」がウツの正体で、そこに仏教の『摩訶止観』が強い味方になると書かれています。本の中身もわかりやすくて、「自分へのこだわりが強くなる」という状態を他者の例を通じて知ることができました。

この本に何度も出てくる「凡師」という言葉に、わたしは思いあたることがたくさんあります。日常でまったく知らない人に心を軽くしてもらうことが多いから。
わたしは他人に相談したり助けを求めようとすると、その前提を確認し整えようとしてさらに自分へのこだわりが強くなってしまうところがあります。

 心が固まって動かなくなったとき、あるいはウツ状態に陥ったとき、関心が自分にしか向かないとき、耳をふさがないで、とりあえず凡師の声に耳を傾けてください。

(第4章 八方ふさがりのときは「生きるまね」をしてみる ── 識通塞 / 竹の棒は凡師の声 より)

たとえばお店で「これは今日中に食べちゃってね」とおまけをもらって、直近のTODOが降って来ることで元気になるなんてことがあります。旅行中に空を見ながら(スコールを見込んで)「あと30分で降ってくる。急いで!」なんて言われる時もそうです。そういう「いま、この暮らしに合わせて適切なことをして生きる」というアクションを不意にぐわっと促される経験をすると、この本に書いてあることが沁みる。

 

よくインドの話で無明で見えない状態についてロープを蛇と見間違える喩えが使われますが、そういう心の状態に対しても、この本では「タイミングを待て」という教えがあることを例としてあげてくれています。

観を施すタイミングについて、『摩訶止観』では次のようなたとえで話します。

「たとえば、暗い井戸の中に七宝があるとしよう。あるいは暗い部屋の中に瓶やお盆があるとしよう。それらをあわてて夜の間に探したらどうなるか。混乱するだけだ。必ず夜が明けるのを待て。日が出るとみんなはっきりと見ることができるからだ。同じように、心が暗闇のときは苦しいからといってあせって悟りというのを探すな。混乱するだけだ」と凡師は教えよと説いています。

(第2章 不安と喧嘩しない ── 巧安止観 /「凡弟子」の数だけ安心法はある より)

ほうっておいても自然に今より明るくなるタイミングが来るから待つ。蛇ロープの喩えでは恐怖を生み出しているのは自分自身というところまではわかるけど、無明による混同・迷妄をこねくり回さない方法までは教えてくれない。なので「日が出るまで待て」ってのはいいなぁと思いました。

 

ほかにも、考えるきっかけになる教えがありました。

 人が勝手に理不尽な難題を吹っかけてきたときは、絶対にすぐには反応しないで「譲る」「隠れる」「逃げる」ことです。時を待つのです。時間を味方にしてください。時間が、勝手な人の行き過ぎを、いつかは必ず是正してくれるでしょう。それは卑怯じゃないか、臆病じゃないかと世間は非難するかもしれません。卑怯でどこが悪いのでしょう。臆病でどこがいけないのでしょう。卑怯だと非難されると「やっぱり卑怯だと思われたくない」と考えたくなります。こうした言葉の暴力に負けないことです。

(第8章 ときには逃げ、ときには耐え忍ぶ ── 能安忍 / 「卑怯、臆病」でどこが悪い! より)

わたしは「卑怯」と「ずるい」がわからないことがよくあります。相手にとっての是が自分にとって不利である、さて……と考えるとわからなくなります。それと同様に、理性と道徳心と脳内仮想批判者の言葉が分類できないこともあります。なのでこの部分がひっかかりました。

わたしの場合「理不尽」という状況を確認・認識するために一度か二度は対応してみるという方法をとるので、この文脈で書かれている「言葉の暴力」の意味がよくわかりません。
この種の判断は自分のコンディションに左右されるので、その時に気づけないのが困りものです。いっけん理不尽なことでも対応することで自分の力になっているケースも多く経験しているので、こういうのは結果論かなとも思います。

 

これはぜひ覚えて情報を摂取する際の自己内フィルタ化したい、と思う教えもありました。

第7章にあった

一般に人々の願いは、「四悪趣」の願いで満ち溢れているのが末法の時代の特徴であるといわれています。

から始まる説明です。

「四悪趣」の4つのうち「餓鬼の願」「畜生の願」はいわゆる物欲や名誉欲などの定番の煩悩だけれど、悪いことをした人の死を願う「地獄の願」、争いや競争や戦争を願う「修羅の願」は正義や善を反転させることで強くなる性質のもの。これは人の意見がインターネットで繋がりやすくなったことで強化されやすいもの。染まらないようにするには他者の意見への接点に気をつける必要があります。

 

第5章にあった「思い」の4つの対象の偏りを観察して調和させる「四運推究」も、これは!と思ってノートにメモをとりました。
思いの対象の時間を現在・過去・未来の3つのではなく、4つで捉えています。
過去の出来事(念巳)・現在の出来事(当念)・未来の出来事(未念)のほかに、今まさに起ころうとしている近接未来の出来事(欲念)がある。「当念が小さくならない、弱くならないようにする」という考えがとても現実的で日常に落とし込みやすく、「現在」と「近接未来」をそれぞれ定義することで合理性を排除していない。

合理性よりも精神性ということになると「いま、ここ」とか「ありのまま」というポエミーな響きになるところが、これだとそうはなりません。

この本にある「四運推究」は心を整理したい時に何度も読み返したくなる教えでした。

 


この本はサブタイトルに「ウツ脱却の秘法」とあるので手に取りにくいかもしれませんが、解説がすばらしいです。仏教心理学の本といってもいいほどの内容が、駆け込み寺の事例話をうかがう感覚で読めました(事例はどれもハードでした)。

著者は福岡のこちらのお寺のかたです。