こういう本は疲れるから避けていたのだけど、つい読み始めてしまいました。
過去について語るところは比較的わかりやすく、上野千鶴子さんの時代と鈴木涼美さんの時代の、自我の守りかたの論理の応酬。
傷つきを認めなさいという上野さんに対し、先回りして傷つかないポップな知恵を携えないと社会で働くことなんてできなかったと反論する鈴木さん。
上野さんのサマンサっぷりに驚いた
上野さんは「性的に自立」することが「自立した女」とセットになる呪いを感じ、そこに好きだの愛してるだのの感情を添えられるとかえって主体的な性欲を汚された気がしたと書いていました。
まるでSATCのサマンサ・ジョーンズのよう。
加齢についての言及も直球です。
多くの高齢者とつきあってきて、そして自分自身も高齢者と言われる年齢になってみて、あるとき「歳をとることと、成熟とは何の関係もないのね」としみじみ思ったことがあります。高齢になってから書かれた本のなかで、著者が「今の自分がいちばん好き!」とか言うのを聞くと、すぐに「嘘つけ」と毒づきたくなります。
(テーマ「仕事」より)
容赦ない(笑)。
「ラクになった」と話す人からはお話を伺ってみたくなるけど、「今の自分がいちばん好き!」という人にはうっかり踏んではいけない地雷がありそうで、怖く感じますものね。
鈴木さんが気づかせてくれたこと 1
鈴木さんが痴漢の撃退法に詳しくなってしまった世代の感覚について書いていました。
わたしの同僚も、男性からの加害にその都度対処法を編み出し、暗黙のチームワークで連携して乗り切ってきた世代です。
わたしがフェミニズムの本をこの頃嫌ってきたのは、セキュリティ対策で連対した思い出を否定され始めた気がするからじゃないか。
それに気づけたことが、今回の読書の大きな収穫でした。
この感覚を生んだ事情は、鈴木さんの言葉でこのように書かれていました。
就職活動中でも、会社に入ってからでも、永田町や霞が関や兜町で取材をしている最中でも、大量のプチ山口敬之や佐々木宏や森喜朗に日々出会う中、毎回毎回勇気を持ってきちんと抗議して、自分らの後輩が似たような嫌な思いをしないように告発していては、せっかく苦労して掴んだ記者の仕事に集中できないし、身も心も疲弊するし、くだらないと切り捨てて放置してしまわなければ生きてこられなかった事情があります。
(テーマ「男」 より)
これを書いてくれてたのが、ほんとありがたかった。
鈴木さんが気づかせてくれたこと 2
冒頭に引用した上野千鶴子さんの辛辣な言葉と関連して、鈴木さんがご自身の書いた文章に対する以下の視点も興味深く読みました。
本や雑誌に自分の書いたものが残ると、一つには自分の意識の変遷や気分によるムラを、わかりやすく見返すことができるので、自分が全く「乗り越えた人」でもなければ、コントロールの効いている状態でもないことがよくわかります。
(テーマ「仕事」 より)
自分が全く「乗り越えた人」ではないことを知っているって大事なことですよね。
ここを放置していると、隙あらば何度も不明瞭な自分語りを他人に向けて発している自分にうまく気づけません。
パソコン通信時代のメールのような往復書簡
この書簡について、上野千鶴子さんが「対面よりつっこんだ話ができて、議論の展開もできる往復書簡というロウテクのツールは、わたしにとっても刺激的でした。」と書かれていました。
この感じは、1996年の映画『ハル』を一瞬思い出すものでした。
『ハル』はパソコン通信時代の話で、始まりは男性同士の文通です。
自分の性別を明かすと面倒なことになることがわかっているため、女性が男性になりすましています。
上野さんと鈴木さんの一対一の長文コミュニケーションにはそれを濃縮した雰囲気があって、読んでは閉じてまた開く、ドキドキと怖いもの見たさがいっぱい。
* * *
この本を読んでいちばん響いたのは、上野千鶴子さんの以下の言葉でした。
わたしは社会変革とは、ホンネの変化ではなく、タテマエの変化だと考えています。そして、そこまでが限界だと考えています。
この本のタイトルの由来は、鈴木さんが ブルセラ世代の元ギャルの視点という体裁で文章を書いていくにはもうそろそろ限界の年齢、という意味合いから始まっていたけれど、「限界」という言葉が上記のようにポジティブな意味でも使えることにハッとしました。
限界があってもそこまでは頑張る、という姿勢。
正直で強い人たちの言葉に刺激を受けつつ、少しクラクラしました。(猛暑のせいね)
