うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

空海「性霊集」抄 加藤精一(訳)

空海さんが朝廷や個人へあてた申請書、書簡の文章を集めた内容。真済さんというお弟子さんが編纂されたそうです。
これが読むとどれもすばらしい営業力。朝廷から資金を出してもらったりするときに、こうやってお願いしてたんだ…という昔の文章を読むことができます。時代は平安時代。ものすごく自分を下げて下げて下げまくって、これでもかというくらい。でも、お願い事はしっかり言っている。ここまで下げていたら書いている途中でどうでもよくなりそうなくらいなのだけど、最後にきっちり依頼してる。


ほかにも40歳になってから書かれた「40歳になっちゃったー」みたいな文章もあり、内容が孔子の言葉を引用してたりして、現代のおじさんと変わらない。当時の仏教僧もこんなふうに、ときに論語を引用してたんだなぁということに何度かおどろきました。何度も論語が出てきます。


空海さんに関連する本はこれまでわりと「ここまで広範囲で学んでいたのか!」という畏敬に満ちた感想に至る本が多かったのですが、この本は日本の権威社会の中で現実的に立ち回る空海さんの姿がかいまみえて、自分自身のライフワークの深さとは切り分けて相手に接する一面を見るごとになんともいえぬ気持ちになりました。どこまでも意志の火力が強い人だったのだなと。
それにしても、あそこまで偉業を成し遂げておきながら「40歳になっちゃったー」なんだもんな。どこまでもやる気でかっこいい。実物めちゃくちゃかっこよかったんだろうなぁと、また友人に心配されそうな妄想がはじまりそうになりました。(うちこさんの好きな人って、みんなもうこの世にいないけど…とつっこまれるのです。ほっとけ!)

 

細かいところでは、綜芸種智院を作るからには完全給食にしたい理由を述べる部分や、指導者としての思いを書簡で以下のように語っている内容が印象に残ります。

以下いずれも口語訳「徒に玉を懐く(いたずらにたまをいだく)」より

教えを説く人とそれを聴く人の心が一方は四角で他方が丸くては、説かないに限ります。

心が合致しているか否か、時がうまく合っているか否か、昇ると沈むと、賞賛と非難と、黙ると語ると、その時々で変わらねばならないのです。

 

ほかにも、女犯の罪で刑に服している僧侶(中璟)の罪の赦しを乞う文章の中にある、以下の部分が沁みます。ここにも論語の引用があります。(以下口語訳)

 かの『論語』に「下愚は移らず」といって最も愚かな者は教化しても良くはならない、どうしようもない、としておりますが、これは中璟のような者のことを言うのでありましょう。さて、春に生じ秋に散るのは天下の道理であり、定まった法によって罰を処罰し、功績のあった者を賞するというのは王者の常道であります。しかしながら、冬の季節にも暖か日がなければどうして梅がほころび麦が芽を出すことができましょう。

 ほかの文章にも同じことがいえるのですが、まず相手の考えを強く正当化し→立場を察し→お願いをするという段階を踏むのだけど、それぞれの部分に慈愛のある美しい表現が含まれている。高難易度の契約をまとめる交渉役のトークを聞いているような感覚になります。

この本は空海さんに関する本のなかでも、とびきり本人のハートに近づける気がする。実在の人物だったんだよなぁ、という思いがごりっと太く感じられる。ファン必読です。

 

 

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