チャンス・キラー。心の中で、ついそんな呼び方をしてしまう知人がいます。
その人は「お得」が大好きなのか「他者の利益」が大嫌いなのか、とにかく判断基準がそこにありすぎて。
自分はなにか、もっと得られるはずものものを得ていないのではないか
そんなふうに思って日々を送っているのか知らんけど、せめてもう少しニコッとしたらどや? なんや、ニコッとしたら損か? わしゃ笑顔のほうが得や思うぞ。
笑顔のコスパって最強なんやで。あんたケチなくせにそんなことも知らんのか。
── と、わたしの中の謎の関西弁キャラが『夫婦善哉』の森繁久弥氏の滑舌で立ち上がります。
えーと、今日はなんの話をしようとしたんだっけ。
ああっ、そうだそうだ。思い出した。
(いつもタイトルは最後に考え直して決めています)
* * *
そんなこともありつつ。
先日、上記の人と会ったのとは別の日に、ある友人が旅のエピソードを聞かせてくれました。
旅に失敗談はつきもの。そういうときに聞ける「ここでケチくさいことをしたのが間違いのはじまりでさ・・・」という話はやっぱりおもしろくて。
本人がその判断に至るマインドまで自己分析済で、飛行機の中で過ごす物理的な距離の切り離し時間は効果絶大のようです。
こういう「普段は見ないようにしていた帳尻合わせの欲が出てびっくりしちゃった」というエピソードをきっかけに、小さなデフォルトとして存在している "名もなき傷" を確認しあう。
こういう傷舐め時間ってだいじだよなーと、たまに思います。
名もなき傷を感じている瞬間って、そこに思考をほんのり奪われているから、集中力を欠いて失敗するんですよね。
普段は見ないようにしている気持ちはそのまま語ることはできないから、物理的な距離ができたり時間薬が効いたり別の成功体験を得たり、ちょっと斜めの工程を経て、凝視することをやめたときに、気がつくと絞り出すことができている。そういうもの。
あ・・・、いま、どうやら失敗してるっぽいな~と思いながら急ブレーキを踏まずに流されて躊躇した、その「躊躇」が人間の心の旨味。そこらへんをうまく言葉にできるようになったら、人生すごく楽しいんだろうな。
「漠然とした不満」の使い方って、センスが出るとこよね。