県外へ出られるようになったら、まずここへ来たいと思っていました。
静岡駅から車で20分〜30分くらい。バスは静岡駅前からなら3番、新静岡からなら2番に乗って、「見性寺入口」で降ります。
中勘助文学記念館
中勘助の作品に関する展示はこの建物の中にあります。ここは、隣の杓子庵の貸主だった前田さんの家です(旧前田邸)。
見どころは、中勘助が所持していたインドの地図と、直筆の文字と、夏目漱石からのお手紙です。
あとは、家系図に添えられた末子さんの写真と、中勘助が十二歳の頃の美少年すぎる写真。
銀の匙の実物などは、2015年に神奈川近代文学館の中勘助展で見たことがありました。
まだパキスタンもバングラデシュもインドであった頃の地図を前に、この地図を参考に『犬』や『提婆達多』が書かれたのかと思うと目が釘付けになってしまい、その場を離れがたい気分になりました。
夏目漱石の直筆の手紙は今でいうとメールくらいの短い文章なのだけど、どれもとてもあたたかくて、さらに好きになってしまいました。
中勘助は木曜会のようなコミュニティや文壇とつるまず、他の作家の作品も読まず、それには家庭内の人間関係が壮絶だったことも関係しているのだろうけど、その中勘助に対して夏目漱石はこんなふうにあたたかい言葉を贈っていたのかと、その内容に感動しました。
このほかに気になったのは、下駄がものすごく大きかったこと。高身長なのは写真からも周囲の人の弁からも明らかなのだけど、足のサイズが気になりました。
こんな建物の中に、中勘助ワールドが広がっています。
素敵よー! 最高よ!
杓子庵(元は粟穂庵)
中勘助と奥様が二人で住んでいた家を復元した建物が横にあります。
ここは、引いてみると横の畑がとってもいい感じ。
住み始めた頃は「粟穂庵」と名付けていたそうですが、そのあと杓子菜(おたま菜)が成るようになって「杓子庵」に改名したそうです。
中勘助は十四歳年上の兄の支配下で苦労し、年表を見ると「よく生きたな……」と思うような人生を送っています。どうしてこんな小説が書けるのだろうと追っていくと、それを知ることになります。
宇野千代さんの生家へ行った時もとても嬉しかったけれど、ここも来れてよかった。行きたい場所へ行く喜びを久しぶりに味わいました。