うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

疎外感あれこれ

かねてより断続的に抱えてきたモヤモヤを人に話して、なにげない返答であってもそれが自分にとってベストマッチな表現だった時に、ス~っと心の快便感がやってくる。そんなことってありませんか。今日書くことは冬の思い出。今年の冬に、そんなことがありました。
便を溜めたのはわたし。便を出したのもわたし。一般的にはスッキリしたというだけの話なのだけど、わたしはこれを心の快便といいたい。

 


それは突然起こりました。ヨガクラスの前にマットを敷きながらわたしが長年抱えてきたモヤモヤを話したら、参加者のかたが魔法のことばをかけてくれたのでした。浣腸的神降臨之瞬間。
わたしは自分が生徒としてヨガを習っているときに、倒置の多い日本語×崇高なトーンで語られるとモヤモヤする。そういうことがよくあるのです。
 

 

 〇〇を~  〇〇して~
 まるで〇〇のように

 


のような倒置。「まるで〇〇のように」のところに非日常のワードが入ってきた場合に、異様にしらけてしまう。
これはわたしの心の中にある一種の攻撃性のあらわれ。よくない性質と自認し、なんとかそれを克服するための対処法まで生み出しているほどです。
(以前書きました)

 

わたしはこのように、聞き慣れない語調で非日常の雰囲気を出されると、心がモジモジする。しちゃうのです。
この感覚について話していたら、ひとりのかたがうなずきながら、こう言ってくださいました。

 

 

 わかりますよ。
 お母さんが電話で話しているみたいな感じ。

 

 

それーーーー!!!
この人、わたしの気持ちをほんとうにわかってくれてる。と思った瞬間、心の便がス~っと蛇のように這い出て、なめらかに去ってゆきました。ばいなら~。

そう。まさにそれなのです。100%、あなたの言うとおり!
さっきまで家で一緒にゲラゲラ笑っていたお母さんが電話に出て語調が変わったときに猛スピードで取り残されたと感じる、あの気持ち。あの疎外感。
そう、わたしの激質をゆさぶる原因はまさにこの疎外感なのです。わたしは不安になるのです。怒りの原因は不安ってことがほとんどだもんね…。

 

 

 わたしだけ、アホのまま取り残される

 

 

崇高なヨガのガイドを耳にした時のあの感じは、お母さんが電話に出てぽっつーんと置いてけぼりにされた瞬間と似ている。
同時に、なんかちょっとした意地悪なツッコミ心もあるんですよね。わたしには。

 

 

 「ございます」って、なによー!
 お母さんさっきまでモノマネ王座決定戦見て
 涙流して笑ってたくせに!!!
 なによー!!!

 

 

という怒り。
お母さんごめんなさい。わたしは理不尽な要求をする生意気な子どもでした。


その日はヨガ仲間の魔法のひとことをきっかけに、最終的に親への感謝の気持ちまで引き出されました。
なんというか・・・

 

 

  すべてに感謝です☆

 

 

(どや)