今年の秋から林芙美子の小説を読み始めました。そこで描かれる戦前・戦中・戦後の時代の人々の会話や情景や心情は、わたしが学校で習ってきた戦争時代のイメージとはまるで違います。
ちょうどそんな時期に、天皇交代の式典のニュースで人々が延々と「天皇陛下、ばんざーい」とやっていたという映像を見て、身体感覚で混乱が起こりました。そのくらい、耳から入ってくる「天皇陛下、ばんざーい」の繰り返しはわたしには不思議な感じ。戦争について書かれた本を読もうと思いました。
林芙美子の小説で描かれる他人の見下しっぷりは、今の社会からさかのぼってなんら違和感のないものです。なつかしい感じがします。なのでこの本にある「日本兵はなぜ残虐なことができたのですか?」「『慰安婦』はウソなのですか?」の章に書かれていることも、今の感覚からつるつるっとさかのぼって想像して、そのくらいのことをしていても意外性がない。同時に「なかったことにしたい」という人間の気持ちについても考えました。
「帰ってきたヒトラー」という映画を観たときに、なんかすごいわ…と思ったことを思い出しました。
わたしは「9.11」のとき、そのニュースを仕事中に知ったのですが、その後「これはひどい。ありえない」というトーンでニュースが動いていったのを見ながら、たしかにそれはひどいのだけど、同時に "そんなことをしたくもなったりするものかな…" という気持ちを抱いた自分の意識のやり場に困りました。
でも、どうやらそれはわたしだけ? 世間がそうであるように見えました。
まるで「原爆については今はなかったことにしましょう」という号令をひとりだけトイレに行っていたために聞き逃した人のような、そのくらいふわっとした困惑ではあったのだけど、えええトイレに行ってる人がいても待たずにインプットしたの? というような、そんな狐につままれた感がありました。
アメリカ同時多発テロ事件は、わたしはヨガをはじめる数年前のできごとです。自分の意識のありようについて考えるきっかけを持たずにいままで生きてきたら、いまどんなふうに自分のほしい「日本の歴史情報」をとりにいっていただろう。
この本を読みながらそんなことを考えました。
- 作者: 久保田貢
- 出版社/メーカー: 新日本出版社
- 発売日: 2015/04/25
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