映画「ジョーカー」を観た感想を以前書きました。そのときはテレビで道化を演じることについて書きました。
映画を観終わってから数日後に、ふとこんなことを思いました。
社会心理ドラマとして観るなら「コンビニ人間」のアメリカ版として解釈したらいろんな意識のありようを言語化しやすくなるのではないか。
そんなこんなで「コンビニ人間」を再読しました。そうしたらいくつか、ああ、この感じはジョーカーの世界にもあったな…と思う箇所がありました。
他者から見下されているときの、「おもしろい」という感覚
以下は、「コンビニ人間」の主人公である古倉さんの脳内描写です。
コンビニで働いていると、そこで働いているということを見下されることが、よくある。興味深いので私は見下している人の顔を見るのが、わりと好きだった。あ、人間だという感じがするのだ。
自分が働いているのに、その職業を差別している人も、ちらほらいる。私はつい、白羽さんの顔を見てしまった。
何かを見下している人は、特に目の形が面白くなる。そこに、反論に対する怯えや警戒、もしくは、反発してくるなら受けてたってやるぞという好戦的な光が宿っている場合もあれば、無意識に見下しているときは、優越感の混ざった恍惚とした快楽でできた液体に目玉が浸り、膜が張っている場合もある。
地下鉄の車内でのアーサー(ジョーカー)の微妙な態度はまさに、こんな感じに見えました。「あ、人間だ」と思って三人の男性を見ているようでした。
他者から見下されているときの「おもしろい」という感覚には、わたしも興味があるんですよね…。その思いは4年前に【「ヨガインストラクター」って、いいイメージなのか謎】というタイトルで書いたことがあるのですが、女性もアーサーの様子を見て「わかる。わかるで…」と思うことはけっこうあるんじゃないかな。
ジョーカーの世界は昔のニューヨーク(のような)の風景。そこで描かれている事件を見ながら、技術が進歩して街がきれいになっても社会人としてのプレッシャーはそのままだから、「自分が狂うか世界が狂うか」の二択しかない思考に迫られることもあるかもよ。これはその一つの事例をデフォルメして見せただけさという、そんな映画のようにも思えてくる。
【「自分が狂うか世界が狂うか」の二択しかない】というのは、別の話題で友人の使ったフレーズ。読書家の友人が「村田沙耶香の書く話は自分が狂うか世界が狂うかの二択しかない感じがつらい」と言っていて、ああ「ジョーカー」のつらさはこれかも…と思ったのでした。

- 作者: 村田沙耶香
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