うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

Courage 勇気 OSHO / 山川紘矢+山川亜希子 訳

この本は周囲がみんな敵と感じるとか誹謗中傷を受けてメンタルがやられてしまったとか、そういうときに薬になりそう。悪意の言葉やそこからの妄想にはきっとこういう説法が効く。

OSHOの言葉はインパクトのある喩えやそのとき売れている本を事例に使うから胸をつかまれる瞬間があるのだけど、冷静になると「で?」となる。こういう話を淡々と延々とノンストップで話すインド人に慣れすぎてしまったせいで、どうも話半分で読んでしまう。これまで長らく遠ざけてきたOSHOの本を読むきっかけは、今年出会った詐欺師のRさんとの対話でした。

 

 

 なんか大事なこと言うてるようでいてなんも言うてへんかもしれんぞ話法

 

 

RさんはOSHOの話法をすっかりマスターしていて、うまいこと話すもんだといつも感心していたのだけど、この話法は日本語で酔うにはちょっと無理があるような気もする。基本的に世の中に対するスタンスが尾崎豊の歌詞に似たアプローチだから、日本語で読んでいる限り途中でバイクを盗んで走るエピソードに相当するものが挿入されないとガツンとこない。でも日本語で読みながら脳内のインドおじさんに英語で語らせる変換を入れると、その気になれる。

・・・なーんて冷めたようなことを書きつつ、読みながらけっこう付箋を貼っているのよわたしったら。やっぱり説明うまいなこの人! と思うのです。

 あなた方は私を愛している、私を信頼している。だから私が言うことならば何もかも信用するかもしれない。しかし、私は何度でも言う。あなたの体験に基づかないものはどんなものでも、単なる仮説として受け入れなさい。それをあなたの信念にしてはいけない。
(第5章 危険に生きる喜び 究極の勇気、始めもなく、終わりもない より)

東洋は愛のない瞑想を試みて失敗した。西洋は瞑想のない愛を試みて失敗した。私のすべての努力は、統合されたもの、全体的な物をあなたに与えることだ ── つまり瞑想プラス愛を意味している。人は一人きりでも幸せになれるべきであり、また、人々と一緒にいても幸せになれるべきなのだ。人は内側で幸せであり、また人間関係の中でも幸せであるべきだ。人は内側と外側に美しい家を作るべきだ。あなたは家を囲む美しい庭と、美しい寝室を持つべきなのだ。庭は寝室と対立しない。寝室は庭と対立しない。
(第6章 恐れをなくすには 瞑想の方法と質問への答え<私は一人でいる時は、なんとか自分を手放して、人々を愛することができます。しかし人々の中に入った途端、いらいらします> より)

OSHOは日本だと麻原彰晃への影響とからめて語られることが多いけれど、話法の組み立てもヴィジュアルもうまさの質が違うように思う。


主語のありようの矛盾とその背後にある恐怖から主体性のなさを指摘していく説法は、まるでバガヴァッド・ギーターのよう。

 何かから自由になるという視点から、自由について考えてはいけない。常に何かへの自由というように考えなさい。この違いは非常に大きい、ものすごく大きい 。
(第4章 群集から離脱しよう 何かからの自由、何かへの自由 より)

そりゃ流行るわけよね…。

 

 恐れには、臆病な気持ち、劣化したマインド、凡庸さがつきまとっている。こうしたものはみな同じものであり、お互いに助け合っている。
(第5章 危険に生きる喜び 究極の勇気、始めもなく、終わりもない より)

タマス性のことを言っているのだと思うのだけど「劣化したマインド」というキラー・ワードを差し込んでくるあたりが巧妙。宮台さんみたいに劣化劣化いうでもなく、臆病と凡庸の間に差し込むこのセンス!


以下はジョシュア・リーブマンという人の書いた「心の平和」という本を批判材料としてあげながら話す場面なので注意深く読むべき事項なのだけど、社会に対する漠然とした復讐心を携えたまま特別な場や経験に一発逆転の救いを求めてやってくる人には、こういうインパクトが必要と思って話しているのじゃないかと想像しながら読みました。太字は本文で太字の箇所です。

 実のところ、もし、平和とは何か、マインドとは何かを知っていたら、その人は「心(マインド)の平和」という題名の本は書けないだろう。なぜならば、マインドこそがすべての平和でないもの、すべての不安の原因だからだ。平和はマインドのない時にあるのだ。
 だから、心の平和というような商品は存在しない。もしマインドがあれば、平和はない。もし、平和があれば、マインドはない。しかし、「ノーマインドの平和」という本を書いても、誰もそれを買おうとしないだろう。私はずっと考えてきたが……誰も「ノーマインドの平和」は買わないだろうと思った。それは彼らにとって意味をなさない、しかし、それがまさに真実なのだ。
(第1章 勇気とは何か? 無知の道 より)

ヨーガの場合は心の「はたらき」の止滅を説いているから、ここはヨーガの視点で読まないほうがよいところなのだけど、当時ベストセラーになっていた本を題材にこの展開で話すなんて、そりゃ流行るわとここでも思う。

 
わたしはこのOSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)という人物をとても勉強家で時代を読むセンスに秀でた話術師というふうに見ているので、よくよく読むとおかしいところもさらにその奥まで読めるようになりたいんですよね。

そんな読み方? といわれても、わたしはそんな読み方をしたい。実際鼓舞もされるし癒やしもあるのです。

 

Courage 勇気

Courage 勇気

 

▼これのあとに読みました