わたしはこの人のことが好きなんだな、ということに気づく瞬間は、その人の「ぶれ」を見たとき。
自分の中でその「ぶれ」をすぐさま肯定的にねじ曲げようとするとき、わたしのなかで発動している火はあきらかに「好き」が火種。この本を読んでそんなことに気がついた。
松浦弥太郎さんというエッセイストはわたしにとって、おしゃれな人たちを追いかけるためにおさえておくべき人。だけど性根のわたしは、そんな生活をまるで地でいっているかのような人々を、"ひらがな高等遊民たち" なんて心の中で揶揄しながら見ている。自分がさまざまな価値観に振り回されているときに「ていねい」なんてひらがなで書かれたら嘲笑されたと感じる。わたしはそういうマインドを携えた、冷笑的で残念な人だ。
そうでしょう? そっちからはそう見えているのでしょう? 「ていねいなくらし」を真似しようにも生活の多くの時間は泥臭い仕事をしているわたしのような、"ほんとうのていねい" に至るには道半ばとすらいえない人間の出す言葉のボロを指先でつまみあげて余白たっぷりの紙の上において笑っているのでしょう? でもね、あなたたちの文章から透けて見える差別感情を、こちらは読みこぼしていないんだ。ていねいに読んでいるよ。
なーんて、「ていねい」の四文字を目にすれば、そんなやさぐれた思いも含んだ複雑なあこがれが発動するわたし。
そうそう、あこがれの対象は100%肯定じゃなくてちょっと嫉妬が入るくらいがいい。そのほうが刺激になるのだ。
それが、それがですよ。「正直」を読んでから、いろいろひっくり返ってしまった。
スピード狂的ウェブ業界で働いていたわたしにとって「ありがたいブレーキ」になる言葉を綴る人であったその人がクックパッドに入社するなんて。えええーそっちからこっちの業界へ来ちゃうの? そんなの想定してない! という驚きとともに、その転職に至る心情を綴ったエッセイを食い入るように読んだのでした。いまもたくさんのカラフルな付箋とともにわたしの本棚にあります。
そしてその後に出たこの本「おとなのきほん」を読んで、わたしはこの人が好きだということに気がつきました。
ものすごく「ぶれ」ているのです。「ママチャリ」という単語を使う人を残念がりながら、自分の身体を語る際に「劣化する」という表現を選んでしまう。それは身体へのディスりではないか。dis respectではないのか。自然法則への dis respect ではないのか。こんな言葉を使って欲しくなかったよ。だってそれは、まるでネットスラングじゃないか。
── なんか、ヤな感じだな。
── んー、でも。
── 好きなところもやっぱりある。だいじなことを語ってくれている。
と、結局そうなる。これは完全に「好き」の思考回路じゃないか…。
理由はこのエッセイの中でも書かれているとおり、「ひみつ」をコンテンツにしているから。いっけん「ひみつ」とわからない経験からの判断基準こそ、おとなのきほん。この出し惜しみしない感じが好きなのです。
無理にごり押しをしたり、意識的に身を引いたり、間違ってももがいたりはせず、ただぽつんと同じ場所に、思考をとめてじっとしている。ただし、決して溺れないように、淡々と足は動かして、立ち泳ぎを続けます。
(力を抜いて漂ってみる より)
ところで、外国のカフェで誰かが話しかけてくれることなんてあるの? と思う人がいるかもしれませんね。でもね、実はそれって簡単なことなんです。一人旅で時間がたっぷりあったなら、毎日同じカフェで同じ時間に同じものを食べて御覧なさい。少なくとも、店主や常連、あるいは同じような境遇の旅行者がきっと声をかけてくれるはずです。
(買い物は出会いもの より)
こういうのって経験から編み出される作戦だけど、自然にやっていて自分でも作戦と気づかない。後者はわたしもインドでよくやっていて、それは信頼できる助言者を絞り込むための方法でもあるのだけど、サバイバル能力が社会の中で発動された自然な工夫かもしれない。ややこしい状況の中で意識的に身を引くように見せるのが悪策であることに気づくことも、年齢を重ねて長い目でじっくり観察できないとわからないこと。
最後まで読むと、ああ、あの組織内のゴタゴタのあとに、少し落ち着いた状況でクックパッドを去られたのだなとわかる。「意識的に身を引いたりはしないけど、立ち泳ぎはしている」ということの大切さ、労働意欲を守ることの大切さを教えられる。
ときどきぶれたりもするけれど、今日もていねいです。
ぶれる様子も見せながらすてきなおじさん化していく人って、いままでに見たことがない。職業世界での身の翻しかたはまるで宇野千代さんのようでもある。そうだ。ふたりとも「おしゃれ」だ。
この本を読んでいた日に、伊豆のおしゃれ番長から便りが届いた。そういえば彼女は若い頃に読んだ「くちぶえサンドイッチ」というエッセイがすごくよかったと言っていた。わたしがいまも松浦弥太郎さんのエッセイを読むのは彼女の影響が大きい。インドでいつも同じ場所で練習をする、友だちづくりが得意でないわたしのマットの横にあとから毎日やってきて、そばに居ついてくれた人。やはり旅先ではいつも同じ場所へ通うのが得策だ。
同時代にすてきな感度を持った人の存在を感じられることは、暮らしていく上でとても心強い。
- 作者: 松浦弥太郎
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