うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

思考の癖=優先順位付けの癖


新潟から戻ってきました。今回は「ダウンドッグ研究会」をやったのですが、そのときに思考の癖についての質問が出たので、その人のダウンドッグを真似しながらお答えしました。
こういうのは占いみたいな反応になってしまうので、暗示にならないように説明するのにすごく言葉を選びます。沈黙が長くなるのでドキドキさせてしまっているかもしれませんが、人間は元来怠惰なので「だからできないんだ!」という「やらない理由」のきっかけになることがないよう、言葉を選んでいます。


最近は「その人がヨガに向き合うときの優先順位が見える」という設定で話すようにしています。
そしてその話をするときは、じーっとわたしはその人のアーサナの真似(再現)をします。
なんか「モノマネが降りてくるイタコみたいでしょ(笑)」なんて言いながらやるのですが、わたしがその人のアーサナの真似をして「あなたのは、こういう感じ。わたしの場合は、こう」という説明のしかたをするときは、以下のような順番で考えています。


まず観察し、以下を見ます。


1. 触覚や知覚のはたらきかた
2. 1に反応する神経のはたらきかた


このあと、計算をします。


3. 1と2に見える矛盾
4. 3を生み出すヨガの定番フレーズを探す



このとき質問をしてくれた人のダウンワード・ドッグは、

この手足の置きかた、おなかのヒキだとこんなに頭を入れないほうが身体はラクなはずなのに(呼吸がしやすいはずなのに)、なぜ少しひじを曲げてでも頭を入れようとするのだろう…

という状態でした。
1&2の物質的身体と、3&4の概念的身体を照らし合わせて、この人の場合は


 ヨガ=集中するもの。集中力を高めるもの


という意識の優先順位が高いのだろうな、と感じたので、そのまま伝えました。
その人はそのとき、わたしがひとつまえのクラスの説明で話した「邪念があると知覚すると、それがまた邪念を生んでぐるぐるする」という話を覚えていたそうで、「邪念があると知覚する」ことを恐れている自分にも気づいていたみたい。


これはわたしの経験上の日々のことですが


 爆睡しているときと瞑想できている瞬間以外は、
 邪念だらけですよ。(笑)


ヨガは性善説でやると、自分を過剰に責めやすいです。
メッセージというのは耳から脳へ格納する間、再び掘り起こして思い出す間に微妙に変換してしまうもの。同じ言葉を10人が聞いたら、10色に変換されます。なので、それぞれが自分の優先順位の癖を知っておくことで、ちょっとこの優先思考にとらわれすぎかも…、というときに微調整ができます。



ヨガをはじめようとする時点では「自分は放っておくと怠けるから」というような性悪説を含んでいたはずなのに、いつのまにか性善説オンリーになってしまって、「◯◯じゃなければヨガじゃない」みたいな思考に傾いてしまう。意識はこういうグラデーションの間を日々ゆらゆらする。こういうのは、続けていくと「あ。またこの思考にハマってる…」と気づくもの。ゆらゆらしながらやっていくしかないものです。
わたしは、こういう時間の共有のしかたがすきです。